ディスコ「オレンジハウス」

さて過日、
大竹氏(鶴見・セグレード)が
「夫」氏を佐口会に紹介したその日、
大竹氏が山田社長(栗本石油)と同年代で、
彼らが若かりし時代、
小生が関っていた、
「オレンジハウス」の話題になった。
あの頃、出入りしていた地元の若者たちの
近況を話しているうちに、
”割烹”武とみの
ママの話が、大竹氏から飛び出し、
「あの頃、可愛らしくて憧れだった」ことを吐露。
じゃ~、会いに行こうかと言うことに。
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昭和56年といえば、
今から26年前に遡る。
福井教授がノーベル化学賞受賞。
ロッキード事件で榎本被告の元夫人・
「ハチは一度刺すと自分も死ぬという」と語った。
「ハチの一刺し」が流行語となった。
三和銀行オンライン詐取事件や、
東京江東区で覚せい剤中毒の、
通り魔が母子ら4人を刺殺するなどの事件が世間を騒がし、、
「ルビーの指輪」、「奥飛騨慕情」、
「スニーカーぶる~す」、「ハイスクールララバイ」、
「長い夜」、「大阪しぐれ」、「街角トワイライト」、
「恋人よ」 がこの年のベストヒットを記録した。
当時小生は、
熱海市議会補選に立候補し、落選した後、
印刷工場を下取りしたものの、
平版や凸版印刷の技術も無く、
名刺や封筒の”手差し”印刷が精一杯で、
職人を増やすより、
下請けを作り、
旅館・ホテルのチラシのコピーやデザインをセットにして、
営業をかけていた。
その延長線上に、
広告ペーパーを月一のペースで発行していた。
市内の飲食店を対象の広告紙で、
B4版のコート紙を使用し、
熱海市内に全戸配布していた。
当時は、熱海市と言えども、
風俗営業の取締りがかなりきつかったが、
ナイトサパー、クラブ、スナック、サパークラブ、
ダンスパブ、割烹倶楽部、ナイトレストラン、
スーパースナック、スコッチクラブ、
シスターゲイクラブ、レストランクラブ、
ファミリースナック、演歌スナック、etc.と、
熱海の夜は華やかな艶で飾られていた。
ここで、汗をかき、
青春の余りあるエネルギーを踊りで爆発させ、
26年経った今、
大竹氏、山田氏、武富さんを始め、
小生の目の届くところに、
当時の方々の活躍を目の当たりにしている。
また、遷り変りの激しい熱海市内の飲食店だが、
小生の広告紙に掲載された中で、
スーパーマン、パブコンパなどを含め、
変わらぬ繁盛店も多い。
さて、オレンジハウスだが、
55年1月28日、
ナイトレストラン「ハーバーライト」としてオープン。
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昭和50年、
旧熱海新聞社長、久保田千秋氏が当選した時の、
青年部長だった方が、
友人と共同で始め、
バンドが入り、
連日芸者さんやホステスさん等で溢れる人気サパーだった。
やがて、リスボンと名を変え、
諸般の事情から、
1年間の期限付きで、
小生が、
「オレンジハウス」として仕切ることに。
この時代、熱海のディスコといえば、
「プレイボーイ」が隆盛を極め、
オープン当初、取って付けたような、
「オレンジハウス」は亜流として、
中々認知されえなかったが、
地元の若者や、人気スナックのマスターを、
デスクジョッキーに仕立てた途端、
一気に客が押し寄せた。
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時には、生バンドを入れ、
貸切を積極的に売るなどして、
この”ハコ”の事実上の経営者である、
元青年部長「T]氏の急場に助力できた。
小生の作戦として、
他のディスコの出入りする”ヤンチャ”な青少年を、
囲い込むことで、
”非行防止”の狙いもあった。
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あれから26年、
あの時の少年少女たちが、
熱海を代表する「顔」に成長されたことは、
嬉しい限りである。
この夜は、
”割烹 武はな”がハネた後、
大竹氏、山田氏と共に、
上宿町の老舗ラーメン店「照の屋」へ繰り出し、
「オレンジハウス」での
尽きない話で盛り上がったのは云うまでもない。

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