小生のゴルフ歴

この写真は確か昭和46年に、
総成カントリークラブ(旧成田カントリー)で
写したものです。
へっぴり腰でレッスンを受けているのが小生。
中央が、篠塚シンジプロ(当時)、右が
古山レッスンプロ。(総成所属)
写真右は、小生と現ホテル池田の池田社長です。 
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なぜここに?
話せば長い事ながら、
小生が熱海後楽園を退社したのが、
昭和42年3月。
辞めた理由は、
女房の実家を手助けする為でした。
小生20歳の時でしたが、
ある目標を定め、
そのことを成就しようと、
熱海後楽園をスッパリと辞めました。
女房の実家は建築板金屋でした。


目標の一つが、25歳までに自力で、
家を建てることでした。
板金屋を経験することで、大工さんや
工事関係者とのつながり、
屋根を葺くにも原価で出来ることで、
土地取得代金も含めて、
500万円を先ず第一目標に掲げました。
銀行からの融資を仰ぐためにも、
最低限目標200万円を貯めるため、
他にもバイトをする事を条件に、
実家の義父にも断りを入れました。
そこで、
実家の板金屋が終わった後、
桜町の八百屋さんでバイトし、
午後9時頃から、
ホテル池田のクラブでボーイをしました。
小生のキャラが珍しかったのか、
当時の池田のスタッフには可愛がられ、
特に、故遠藤一、折井、伊藤他の幹部社員には
大変な恩義を受けました。
ホテル池田の親会社は
横浜市鶴見で旭硝子の下請け会社、
「セントラル硝子」。
この親会社が昭和45年度の長者番付で
全国2位となり、
どういうわけか、成田市にあった
ゴルフ場を買収したのです。
成田空港をめぐる紛争が
活発だった頃の話です。
その頃、旧成田カントリーは、メンバー制で
償還金返済期が迫っており、
その他債務超過で倒産寸前だったと記憶しています。
セントラル硝子は、ゴルフ場を買収し
そのまま経営を続けることになりました。
そこで、ホテル池田から
成田市へ出向組が選抜されました。
用度係り、調理部に加え、
その中の一人に小生も抜擢されました。
板金屋の仕事は一時、釧路から連れてきた
弟の「明」に任せ、
ゴルフ場の肩書きは
「東京営業所」所長代理として
営業を担当いたしました。
東京事務所は、銀座のあったホテル池田の
営業所に間借りして、
首都圏からのコンペを獲得することに奔走。
要はコンペを取り、業績を上げれば
後はセールス日報を記入するだけで
後はフリーというありがたい立場でした。
大きなコンペを取ると、現地成田に出向いていました。
その時に前記の篠塚、古山両プロにレッスンして頂いた、
こういうワケだったのです。
古山氏の弟さんは、当時日本プロボクシング
ライト級(?)チャンプの「ライオン古山」さん。
「ゴルフ場の営業が接待ゴルフ程度が
出来なくてどうする」という、親心だっのかもしれません。
青木功プロも何度もこのゴルフ場でプレイしていました。
しかしセンスの無い小生は、
少しもうまくならないまま、
昭和47年、
「ホテル池田」グループを後にしたのです。
こうした理由からも、
ゴルフのキャリアこそ長いのですが、
今もって惨めなスコアを前に
悪戦苦闘しています。
しかしこの時代に培った人脈は
現在まで継続しており、
「国際放映」で製作に携われたのも、
この時代の顧客の某プロデューサーの
お世話によるものでした。
このことからも、
小生が「池田考太」会長に感謝しているのは、
言うまでもありません。
さて下段の写真は、1971元旦。
「ホテル池田」のメンバー”池田会”を写したものです。
懐かしい顔々顔。
ホテル池田の池田考太会長は、現在
来宮神社の責任役員でもあります。
熱海市内の大手基幹産業が次々と
休廃業の憂き目に遭う中、
ホテル池田は堅調な経営内容で
勝組の一角に名を留めています。
                            (中央の眼鏡が小生)
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小生が結婚したのは、
昭和46年10月30日。
「池田」にお世話になっていたときで、
会長や故遠藤一氏が来賓で出席していただき、
奇しくも「来宮神社」で式を挙げたのです。
池田会長が責任総代、
小生は総代。
やはり縁はグルグル回っているのでしょうか。
ゴルフが下手なのも、
現在のところ、
池田家の恩義に
報えていないからでしょうか。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

2 Comments

  1. ご無沙汰しております、藤谷です。
    仕事でGoogleで検索をかけたら偶然懐かしい名前を発見し、このページにたどり着きました。
    大いにご活躍と喜ばしく思っておりましたところ、岡本社長が亡くなられたとの記載箇所を拝見し、存命中は大変お世話になった事を思い出し、私事不義理を深く反省しております。
    村山社長に於かれましては、相変わらずエネルギッシュにご活躍の事嬉しく拝見させて頂きました。
    機会が有りましたなら又、お会いしたいと思っております。
    今後のご活躍をお祈り申し上げます。

  2. ど~も、その節は大変お世話になりました。
    時折、藤谷さんのこと、
    事務所で話題になります。
    一度、熱海に来てください。
    積もる話がヤマとありますので。
    では、今後ともぞうぞ宜しくお願いいたします。

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