初めて建てた家

前日記載した若かりし頃の目標の一つが、
自分の家を持つことでした。
北海道釧路から集団就職し、
結婚するため途中で退社し、
女房の実家で建築板金屋を手伝う傍ら、
様々なバイトや腰掛就職をして
建てたのが写真の家です。
バラックに毛が生えたような家ですが、
目標を設定し、成就できた最初の案件でした。
土地は昭和44年、22歳で購入。
地目が農地だったため、
宅地変更し、即プレハブを建てしばらく、
麻雀用に使用。
本建築は昭和46年、25歳の時でした。
土地購入時に中部相互銀行(当時)から、
143万円の融資を受けられました。
本建築は、吉田工務店(下多賀)。
建築資金はかなり安価で、
確か400万円台でした。
写真は小生と女房。子供は義弟の長男「一也」
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写真、車庫の車はサニークーペ1300.
ホテル池田の池田考太社長(当時)に、
ボディーに、企業名(ホテル池田)を書いて走るからと、
口説いて購入してもらい、
これで、熱海~成田~東京を往復していました。
s-img224.jpg
この家は昭和57年、
株式会社[「ニコー」の工場長、
間幹夫氏が購入、
現在は氏の3階建ての瀟洒な
家屋となっています。
この家を間氏に斡旋していただいたのが、
ニコーの「雨宮嵩彦」社長。
小生の恩人の一人です。
この家は昭和57年当時、
1500万円で買ってもらいました。
雨宮社長のおかげで、第二の目標だった
熱海市内進出が可能となり、
「ムラヤマビル」が取得できたのです。
あれから23年、
これを機に、今もって雨宮氏とは
「金石の交わり」を持って、
お付き合いさせていただいています。
無論、間氏とも兄弟同様の関係を維持しています。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

1 Comment

  1. けんちゃへ
    懐かしい写真見せてもらいビックリしました,さすが ブンヤ だけあつて昔の素晴らしい写真をもっていますね、互いにいろいろな人生を歩んできましたが
    私のけんちゃんに対するスタンスは25年まえの釧路の<おばあちゃん>を大事にするあの姿勢がけんちゃんを理解するうえでの原点だとおもう、
    これからも自分自身の信念をつらぬき熱海市民、地域経済発展の為大いに貢献して下さい また写真のあの時のようなロマンを抱きつつお互いに頑張りましょう

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