昭和40年「熱海後楽園」

小生は、昭和40年(1964)
北海道道立釧路湖陵高校卒業後
熱海後楽園第一期生として集団就職した。
            (真鍋八千代株式会社後楽園兼任社長)
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レストセンタープール係を皮切りに、
第二営業部団体予約係を経て、横浜営業所までの
足掛け3年間在籍し、同僚や諸先輩に
掛替えのないご厚情やご指導をいただいた。
あれから、41年。
今年、7月17日(日)熱海後楽園に於いて
http://www.atamikorakuen.com/
同期会が催される。
昭和40年4月4日、熱海市観光会館にて
高卒男女380人の新入社員入社式
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が行われたことや、
多感期の思い出が走馬灯のように浮かんでくる。
誰が何方が顔を出してくれるのか。
同期会世話役のネットワークの広さを期待したい。
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かつての同期生諸氏も、年を重ねる毎に価値観の相違や
個人的事情による故郷へのユーターンなどで、
ちりちりバラバラになり、
現在では、熱海後楽園には
一握りしか残っていない。
熱海後楽園の機構変革による
定年制早期導入や
再雇用等々で生き残った仲間もいるが、
創業以来、約40年間の歳月が流れ
転職後の消息がつかめないでいる
同期生も多いという。
このブログを通じて、当時の仲間に、
7月17日の同期会開催を伝達できれば幸いである。


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さて、保管しているスクラップの中から、
昭和40年(1964)当時の、
小生を中心とした、記憶を辿ってみる。
8月1日オープンに向け、株式会社後楽園は
東宝会館内(現国際専門学校}に、
熱海後楽園(別会社)を設立していた。
兼任社長 真鍋八千代 常務取締役 栗原弘 第一営業部長 大沢正治
第二営業部長 菊池徳太郎 総務部長 赤塚勝 という布陣だった。
この年熱海市正月の料飲税は
昨年比13%もの売り上げ増を記録、
熱海市は空前の活況を呈していた。
小生は、研修期間を経て8月のオープン時には
プール係に配属され、2ヶ月後には
第二営業部団体予約係に配属された。
その部署での日常の一端が、後楽園スタジアム社内報
ナンバー4号に掲載されている。
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青函連絡船に乗船し、青森駅から
上野駅に降り立った、集団就職組の
恥かしながら、青春の一ページである。
<10月×日 天気 晴>
熱海後楽園 第二営業部団体予約係 村山憲三
「最終のバスが出ますよ~」管理人の声がした。
「それ起きろ!」服を着るのに一分とはかからない。
それもそのはずズボンをはくだけだ。
シャツと上着を片手でつかみ
後の片手で靴をつかみ階段を飛び降り玄関に出ると、
まだはれぼったい目に朝日が情け容赦なくつきささる。
「うわ~っ痛ぇ!」ミニバスに飛び乗る。
もちろん顔を洗っていないし歯も磨いていない。
男子寮なのでパンツ一丁でも平気である。
       (現西山町後楽園マンション。旧竹ノ沢男子寮の外壁にて)
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8時32分バス発車。
車の中でシャツを着た。
バスが旭町の交差点に出ると
パチンコ屋のネエさんが大きなアクビをしながら
ホースで道路に水をまいていた。
ネエさんの足下で子犬がじゃれついていた。
8時49分タイムカードに数字が打たれた。
「よし朝飯だ」
従業員食堂に入る。
ご飯の上に卵をのせ醤油をかけ
かき回して2分ですませる。
私があんまりせわしないもので従
業員食堂のオバさんが苦笑していた。
ロッカーから手ぬぐいと歯ブラシを取り
風呂で顔を洗った。
9時2分事務所に入る。
「おはようございます」朝の挨拶をする。
さあ仕事だ。
私の仕事は8月1日から
9月18日までプール係でした。
8月中は目の回るほど忙しかったが、
9月に入り台風と共に客足がバッタリ。
おかげさんで休養が出来た?
9月19日から団体予約に配置されました。
上司に「他の人は疲れて痩せたのにお前だけ太って、
よしうんとしぼってやるぞ」
「余り苛めないで下さいよ」
最初の仕事は斡旋業者への手数料を送ること。
それからセールスに出る予定である。
「リーン」電話がなる。
「ハイ団体予約でございます」
「お客様からです」交換手の声だ。
受話器を持った手が小刻みに震える。
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始めはトチリが多かったが上司の優しい指導で
今では電話の応対もスムーズに行くようになった。
ここで団体予約のメンバーをご紹介しましょう。
いつも陽気で話がすごく解る松田副支配人。
髭の剃り跡がいつも青く年の割には若く見え、
ギャンブルの好きな野村主任。
前の野村主任とは反対に年のわりには老けて見える
ヒビキのワーさん、こと和田さん。とにかくよい人である。
ボウリングをやらせたら、
当社で一,二をあらそう重田さん。
貫禄のある安藤さん。
同僚の菅野君。
紅一点のお皿さんこと、皿良さん。
とにかく団体予約の事務所は底抜けに明るく、
適当にジョークも飛ぶし楽しい仕事でやりがいがある。
時計の針が九時を回った。
「もう今日は帰っていいぞ」
松田副支配人が笑いながら言った。
「よし風呂でも入って帰るか」
「ー思い出に降る雨もある・・・」鼻歌が自然に出る。
うちの専属歌手の歌う歌だ。調子がよい。
9時50分バスに乗る。さあっ、明日こそ早起きしよう。
でも・・駄目らしい。
今晩も同僚と話しに花が咲きそうだ・・・。
18歳当時の稚拙な雑文で恐縮だが、
その頃の忙しさ、慌しさを滲ませて書いた
記憶が残っている。
この号では小生の他に、同期生では
第一営業部ルームメイト 安原富子さんと、
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第一営業部ボーイ 境 幸範君が現行を寄せている。
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同年、真鍋八千代兼任社長が「旧熱海新聞」紙上に
果報は練って待て
トップ経営者の心意気 というサブタイトルで対談している。
次回はその経営理念が
今の熱海市にとって、ヒントになるのかも模索しつつ
旧熱海新聞社「久保田千秋」氏の
了解の下、転載してみたい。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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