神奈川新聞に連載された、
髙橋弘会長の自伝、
”わが人生”その(89)話。
・・・
ー42歳というのは
社会人になって20年余り。
立派な大人になった半面、
昔の友人に会いたい思いや
郷愁にも駆られる年頃です。
そんなとき
ちょうどいいタイミングで
与えられるのが
御鳳輦なのです。
その神事は私の人生に
多くのものを授けてくれました。
さて御鳳輦で
厄落としをしたおかげか、
続く1980年代は
「日本ジャンボー」にとって
充実した時期になりました。
先ず80年湯河原の
総合現像所を建て直しました。
和菓子屋さんの
工場を利用した
木造建物を取り壊し、
鉄筋コンクリート造りの
3階建てに建て替えたのです。
新工場では
カラーフィルム現像1万本、
カラープリント20万枚、
白黒プリント1万枚の
日産処理能力
(一日8時間稼働の場合)を実現します。
そして一層積極的に
現像所を各地に展開しました。
85年に東京都調布市、
長野県伊那市、
86年に富山県高岡市、
87年に大阪吹田市、
千葉県流山市、
群馬県高崎市、
88年に愛知県大口町・・・。
(つづく)