髙橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝
”わが人生”その(77)
(神奈川新聞連載)
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「次に訪ねた
もう一社のメーカーでは、
担当者がこう言いました。」
「ジャンボーさんの
請求には応じますが、
現金で払うのは難しいです」
やはり会社として
現像料を支払った前例を
残したくないのです。
「現物支給ではどうでしょう」と提案され、
その会社でまもなく
発売されるという、
現像料を分離したフィルムを
請求金額分もらいました。
こうして、
カラフィルムの現像をめぐる
大手フィルム会社との闘いは、
日本ジャンボーの
勝利に終わりました。
未収の現像料を
回収し終わったのは
64年10月でした。
東海道新幹線が開業し、
東京五輪が開催された月です。
五輪はカラーフィルムの普及を
一気に加速させました。
そして、
日本の大手メーカーが
現像料を分離した
フィルムを発売したのは、
翌65年8月のことでした。
この闘いは、
日本ジャンボーに
正当な料金を取り戻せただけでなく、
写真市場の独占的状態を解消し、
自由で公正な
企業間競争を可能にしました。
一般消費者の皆さんにも
利益をもたらしたのではないかと
自負しています。
(つづく)