神奈川新聞連載、
髙橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝
“わが人生”その(54)
「日本ジャンボー誕生のキッカケ」
ーお客様の
撮影済みフィルムを
預かる取次店を
広い範囲に数多く設置し、
大量のフィルムを集めて
あの高速機械で
一括処理するのです。
私は夢中で
事業プランを書き始めました。
「これならいける。
大量に処理すれば
単価も安くなるから。
お客様も増えていくはずだ」
当時は、
注文•受け渡しと
現像•焼き付けとを
完全に分離している
写真DPE店はありませんでした。
広範囲から多くの注文を取り、
工場での一括大量処理まで
薄利多売を実現するー。
後に
グロープ年商170億円となる
「日本ジャンボー」の
骨格が生まれた瞬間でした。
しかし
肝心の機械を買うには
あと100万円が足りません。
そんな私に
”救世主”が現れました。
写真DPE店
「アルプス写真」を営んでいた
25歳の私に、
一時間で1800枚もプリントできる
米国製の大型自動焼き付け機を
入手できるチャンスが
飛び込んできました。
この機械の性能を
最大限に生かす
事業プランもひらめきました。
220万円の機械を買う資金が
どうしてもあと100万円足りません。
(つづく)
(写真はブルネイ訪問時)