昨日の箱根につづいて今日は両国にて、
大相撲6日目を観戦するため上京する。
熱海駅でデザイナーのIさんと待ち合わせ、
神田で下り行きつけの中華飯店で昼飯後、
既にボックス席チケットを届け済みの
石森史郎氏(脚本家)や川口貴史氏等と
国技館の指定席で合流する予定である。
また打出しの後は石森氏が毎場所懇意にする、
ちゃんこ料理店「安美錦」に寄る予定で、
帰宅時間が遅くなるため、早めのブログは、
「成島柳北」の家系についてご紹介をしたい。
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郷土資料研究家の小林米男氏が日刊アタミの
日曜文芸に「成島柳北」の家系について
連載していたので先日に引続いて抜粋転写する。
成島家は源義光(新羅三郎義光)の高裔で、
甲斐(山梨県)の成島村に住み、武田信玄に
仕えたが、信玄亡き後は成島村に退隠。その子
道雪信次は徳川三代将軍家光の時代になって
江戸に出て徳川家に仕えた。そして寛永7年には
御広間坊主となり、同18年二の丸坊主組頭となった。
道雪信次は萬治2年に死んだが、丸島家はこの
道雪信次を初代として、2代目信好、三代目信遍、
4代目和◯、5代目勝雄、6代目司直、7代目良譲(稼堂)
8代目惟弘(柳北)と、230余年徳川家に仕えた。
成島家が儒者になったのは3代目になってからで
彼は萩生徂倖に学び学問に志した人物で、以来、
徳川幕府の奥儒者となって仕えるようになった。
柳北はその成島家に生まれ、祖父司直、
父稼堂のもとで学問に励んだのである。
(つづく)