今日は午前中町内の祭りの後始末をした後
愛犬ふ〜との定番散歩を済ませ自宅に戻り、
飯田慎一氏(成島柳北の子孫)の訪問を待ち、
マリンスパあたみ敷地内(海浜公園)に建つ
成島柳北の記念碑に案内する。碑には
線彫りにした柳北の肖像と碑文が彫られ
裏面には明治17年9月つくられた柳北の短歌、
ーうしと見る世にただひとつ楽しきは
熱海のさとの湯あみなりけりーと刻まれ、
旧日刊アタミ日曜文壇・熱海文壇百景、
成島柳北ー大恩人の柳北(小林米男著)には、
昔から熱海には多くの文人墨客が訪れている。
中でも、成島柳北、尾崎紅葉、坪内逍遥は
熱海にとって大恩人と言える。坪内逍遥と、
市島春城は、柳北がよく訪れた聚落、
(旧樋口旅館、聚落、富士屋旅館)の
庭園を歩きながら、
ー熱海を今日の如く繁栄に導いた大恩人は
柳北翁であるのに、何ごとぞこの地に翁を
記念する何物もない。せめてこの庭園に
小碑を建て碑面にあの長顔を刻してはどうか、と
二人で話したそうだが、昭和10年2月28日、
逍遥がこの世を去ってしまったので、その翌年
市島春城が発起人となって昭和11年3月、
海の見える聚落の庭に立派な碑が建てられた。
柳北の文名ははなはだ高く、西南戦争後の
熱海温泉発展の時流に、その紀行文は
大きな役割をはたしてくれた。詩に文に頻に
宣伝し当時不便な熱海へ多くの都人らを誘った。