鈴木昭司翁(84歳)が逝った。その訃報は、
高橋弘会長(万葉倶楽部)からのメールで知った、
つい最近まで、高橋会長主催(日本ジャンボー)の
ゴルフコンペにはほとんど毎回、会長がお誘いし
一緒の組で回りゴルフの楽しさを教えて頂いた。また、
ゴルフを友に、100歳まで生きる、と、常々
生に対する自信を覗かせ、80歳を過ぎてから、
エイジシュートをごくごく当たり前のように、
連発しつつ、小生の乱れるスコアも理にかなった
ワンポイントアドバイスが不思議なほど修正できた。
元郵政省労働組合東海四県委員長だっただけに
熱海市の政治にも精通しており、過去にさかのぼり
時代とともに歩んできた、多くの闘士とつながっており、
地方政治に対する取り組み方など勉強をさせて頂いた。
その鈴木翁が逝ったとは。俄に信じられなかったが
事実は事実である。先ずは鈴木さん。お疲れさまでした。
謹んで哀悼の意を表します。ー合唱ー
今日と明日、故人を偲び、
高橋弘会長の弔辞を掲載して記録に停めておきたい
・・・・ 弔辞 ・・・
ー鈴木昭司さん。鈴木昭司さんの霊前に立ち
お別れの言葉を申し上げます20日の日中、
息子さんの誠也さんから訃報の電話を受けました、
まさかお父さんの事とは思いませんでした、私と
昭司さんの出会いわ10年ぐらい前かと記憶しています、
私が三島地元の南高の同窓会会長を引き受けたときの
総会懇親会で挨拶を受けました、その後鈴木さんが
三島西麓の開発構想に夢中になっていた時でした。
私はその様な大規模開発は、個人でやる仕事とではないと、
たしなめ止めてくれました、その頃長く務めた
郵政省労働組合の東海4県の委員長をやめて第二の
郵政弘済会の東京勤めをしていた頃のご縁で
東大OBを束ねてゴルフ場の開発の仕事に
精力をつぎ込んだことが、鈴木さんの人生の
歯車を狂わせたと私は思っています。最初の
山梨県富士河口湖ゴルフ場開発に参加して
その成功を受け理事にも就任しましたが、以後
それも此れも進まず、手持ち無沙汰の頃
私の本社が沼津に移りまして近くになり、時々
会社にたづねる様に成りました、ちょうど当社でも
業務拡大の為、沼津グルメ街道の
駅の開発構想を手伝って貰いました。(つづく)