今日は、劇的なシーンを生で見ることが出来た。
2010国内男子ツアー「フジサンケイクラシック」最終日、
高橋弘会長のお誘いを受け、
富士桜カントリークラブで国内ツアーを観戦する。ゴルフ場に到着したのが、
午後1時30分頃だったか、試合は既に、2打差を追い上げた石川選手と、
薗田選手の一回目のプレーオフが始まっていた。18番ホールを囲むようにして、
大勢のギャラリーが両選手の一打、一球の行方に釘付けになっていた。
試合の様子はTVかスポーツ紙を見て頂くとして、結果的に、
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石川遼選手の強運を改めて印象づけた。2度目のプレオフだったか、
林に打ち込んだものの見事にパーセーブし、3度目は、
深いバンカーに打ち込んだもののこれも難なく2オンして、
4度目のプレイオフに持ち込んだ末に、勝利をもぎ取ってしまったのである。
インタビューでも勝って驕らず、相手選手への労りを忘れず、
ギャラリーへの気遣いも不自然じゃなく、19歳のプロの冷静な姿勢に拍手を送った。
石川選手、今季2勝目と自身初の大会2連覇のオマケもついた。また、
ギャラリーは遼ちゃんファンが圧倒的に多く、
そのファンの期待を裏切らない、精神的な強で魅了した。
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午前10時30分に熱海を出発し、途中、沼津のインター手前の
天神屋にてオニギリを仕入れ、ゴルフ場近くのうどん屋、
吉田のうどん「蔵ノ介」では手打ち太麺、ラーメンだし風味のかけうどん(350円)に、
かきあげ(100円)をトッピングにして食べる。さすがに、
オニギリは一個しか食べられず、残りの天神屋アイテムは自宅に持ち帰る。
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高橋会長は昨日に続いての観戦だった。昨夜は、観戦の帰路、堀川久保顧問等を伴い、
ラーメンハウス(や〜や〜屋)に立寄った。店に顔を出した際、
来宮神社・雨宮宮司ご家族の皆さんが食事しており、
”や〜や〜や〜、ど〜も暫く”ということになり、動画通りの展開となった。
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帰宅し着替えてラーメンハウスにて京都の友人と食事をしていたら、先日、
万葉小田原本社でご紹介された、中村屋(ナック)の、
小西正宏社長と奥様の育子専務が約束通り顔を出した。育子専務は、
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弘法大師空海つながりの不思議な縁について、メールをご案内させて頂いた方で、
名刺交換した時に、5日には熱海サンミホテルに泊って、
ひつじやでジンギスカン料理を食べたあと、や〜や〜屋に寄ると約束していた。
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小田原本社での面白いエピソードは来週掲載することにして、
先送りしていた、山口藤子さんの、
「大正末期から昭和初期の咲見町界隈」の最終稿をお届けしたい。この、
山口さんから派生した、熱海温泉を愛した、昭和の文豪の一人、
「志賀直哉」と作品集(大洞台日誌)に登場した、
藤中靴店との経緯などについては、熱海図書館長の協力のもと入手しており、
近々に抜粋してご案内したい。
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「大正末期から昭和初期の咲見町界隈」最終回
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・酒屋は三軒で、買いに行く時、ビンや入れ物をもって行き、
樽から酒、醤油、酢、ゴマ油等、コトコトコトと入れたあと、(樽の)
ギューっと栓を〆る音、みその臭い等酒屋のつかいは楽しかった。
入れ物持参、ゴミが出る訳がない。
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手焼きせんべいをオジイさん、オバアさんが焼き、
甘いのか辛いのかをお客に聞いてから、花形の上に塗ってくれたものである。
桜井自転車屋。
熱海は坂道のためか新しい自転車は少ししかなかったような気がする。
パンク修繕に特殊なゴム糊を貼っていた。
商店それぞれの音があり、匂いがあったように思う。
あの頃は現在と違って各家庭にお風呂がほとんど無かった。銭湯が多く温泉であった。
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藤沢湯、咲見町湯、小沢湯、大湯、
福島屋、万人風呂、河原湯等。咲見町は今の温泉通りも含まれていて、
旅館の大きなのもあったが、小さい旅館も多く、
熱海湯煙の発祥地でもあった。共同湯から色々教わった。
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入る時、出る時、洗う時、無言のうちに
人のふり見て我がふり直せ。これであった。はじらい、おくゆかしさ、譲り合い、
お年寄りや赤ちゃんのある人に手をさしのべる、良い教育の場でもあった。
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昔の町はのんびりしていたが、教育があった。ジックリ教えてくれる人がいた。
今は仕方の無いのかもしれないが、前屈みでせかせかと。
人情や優しさが生まれる訳が無いと私は思う。まだまだたくさん、
まちの様子を書きたいが、良き時代の熱海に生まれ育ち、ここまで色々あったが、
熱海を長く見させていただき、長生きしてよかったと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山口藤子