髙橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝”わが人生”(63)ー商売の投網は人の集るところに放てー

熱海初の店頭公開上場を
成し遂げたのが、

髙橋弘会長(万葉倶楽部)率いる
日本ジャンボーである。

その件については今後、
このブログで連載している
神奈川新聞連載の
髙橋会長の自伝”わが人生”で
ご案内するとして、

髙橋会長の名言の一つに

”ヘボ写真100年経てば宝物”というのがある。

確かに小生もこれまでに、
ミニコミ紙や
日刊紙の経営を通して、
撮り貯めた銀塩写真は
山ほどある。

ただその写真、
一枚一枚に込められた
思い出が未だ鮮明に
生きており、
容易に捨てられないでいるが、

古い写真が宝物のように
思える一枚の写真がある。

今年、1977年当時、
とあるメンバーの一人と
約45年ぶりで再会した。

市内清水町で
骨董屋「古梅苑」を開業する
ご主人の成田氏である。

この成田氏を繋ぐ懐かしい写真も
ストックしていたことで、
その当時の思い出を手繰りつつ
”運命的出会いなのかと、
”新たな親睦を深めている。

そんなこんな、

髙橋会長の自伝”わが人生”
その(63)回目を掲載する。

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ー仕組みを説明すると、
大抵の店は引き受けてくれました。

店頭宣伝物とサイズ見本、
受付用の箱等のほか、
販売用のフィルムも
置かせもらいました。

足元の静岡と神奈川から
取次店を増やし、

約35年後には

全国で約5万5千店に到達しました。

直営取次店の一つに、

小田原駅前の
箱根登山でパートの
コンオース店がありました。

同デパートは1959年、
小田原初の百貨店として、

箱根登山鉄道の
路面電車の駅だった場所に開業。

日本ジャンボーの出店は
62年4月でした。

一階中央を貫くコンコースは
いつも大勢が行き交っていました。

商売は人の集る場所でやるのが一番です。

(つづく)

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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