明日の5日まで来熱するGWの
観光客をターゲットに昼から
ラーメン屋を手伝う予定である。
この間の空いた時間時間を、
1070年代に東京で過ごした
青春の思いでの一ページを飾る
旧国際放映撮影所で経験した、
先輩諸氏との記憶の断片を
ブログに書き込む事で、脳トレや
未だ健在の関係者との
再会を期待して記憶を手繰りたい。
先ず、恩人の一人である、
坂内英介氏(制作部演技事務)の
存在を避けては通れない。
1970年代、当時の国際放映は
民放各局のドラマや親会社である、
東宝の映画製作等が目白押しで
多忙を極めていた。祐ちゃんの
太陽にほえろや、ショーケンと
水谷豊の傷だらけの天使他、
テレビドラマで一世風靡した
人気ドラマの制作が続いていた。
撮影所の前の喫茶店(ボク)には、
撮影の合間を縫って著名俳優や
監督、スタッフや事務所関係者が
台本片手に出入りしていた。
その頃、熱海出身の俳優M・K氏も、
変身もの番組のヒーロー役で主演、
撮影所で顔見知りとなった。また、
当時はコネ優先時代で、端役や
製作助手でもコネさえあれば、
スルーで採用された時代だった。
そもそも、国際放映撮影所に
出入りするキッカケを作ったのは、
前記の「坂内英介」氏だった。
(つづく)
写真は坂内英介氏