先日、地下鉄銀座線末広町1番出口目の前にある
健康夢空間事務室にて、飯田慎一氏は初対面の
石森史郎氏と即、息が合い、ドラマチックな
先祖の経緯について話し始めた。慎一氏には
飯田豊二よりも、豊二の兄祖父耕一郎が
満鉄の鉄道技師だったのは覚えている。また、
慎一氏が誕生した昭和12年11月3日に祖母、
飯田意誠が発刊した耕一郎の面影(非売品)にも、
祖父のほか、豊二に関する記述にあるものの、
豊二の面影は遥か忘却の彼方にあった。
その豊二を甦らせたのは、2005年10月だった。
ある日、沼津市役所から、慎一さんは
飯田豊二さんの親戚なのかとの連絡を受ける。
台湾高雄市とその関係者が飯田豊二の親族を
日台友好協会関係者が探している。と、
「李◯輝友の会」メルマガコピーを受け取る。
これをキッカケに飯田慎一氏と親族の一人が
高雄市に招かれ豊二の偉業を知ることとなった。
(つづく)