午前10時過ぎの熱海港離岸堤遊歩道には、
灼熱の太陽が降り注ぎ気温は既に30℃超と
推測できる程暑かった。朝のワイドショーでは
連日、熱中症で亡くなる方の訃報を報じている。
そんな過酷な気温の中、齢16となった我が、
愛犬ふ〜は嗅覚を頼りの散歩は欠かせない。
ただ散歩時間は極々短めで排尿排便が済めば
抱きかかえて車の助手席に乗せ自宅に戻る。
愛犬の老化が顕著でこの夏が超せるのか、
一層の愛情を込めて抱きしめている。さて、
先日、旅行代理店スカイパートナーの
塩野靖ご夫妻がラーメンハウスを訪問したので、
その写真を掲載してから、
熱海の恩人「成島柳北」の話しの続きに入ろう。
明治時代に熱海温泉を柳北自身が主宰する
「朝野新聞」の社説や雑録を通して宣伝し、
文人墨客を始め時の政府の要人や実業界の大物等、
多くの湯浴み客を誘致した経緯は詳しく後日、
富岡熱海図書館長が収集した資料を転載するが
既報の通り、柳北の石碑は海浜公演にある。また、
小生の記憶の片隅にぼんやり残っていた
柳北の存在にフットライトを浴びせたのが、
成島柳北の7女を娶った”飯田豊二”とその子孫、
飯田慎一氏の存在だった。また柳北と飯田豊二が
熱海で繋がる事にヒントを与えたのが
風間智氏(赤坂レールズ)と西畑中道氏である。
西畑氏はアニメ制作プロデューサーとして
日本の心を伝える「おじいちゃんとぼく」の
制作委員の経験を生かして予てから知り合いの
飯田慎一氏から依頼された、飯田豊二が台湾の
高雄市に残した感動の話しをアニメ制作する予定で、
日台友好アニメ製作委員会発足準備を進めていた。
(つづく)