高野山「巴隆院」の奇遇から6年、縁は異なもの味なもの。

午前中は第3庁舎市長応接室にて、高橋弘会長(万葉倶楽部)と
田邊副市長が初対談した。高橋会長が熱海市内で、と、企画提案する、
”日本のこころ”プロジェクやその他、まちづくりのあり方や固定資産税に関する、
熱海市の政策に対する高額納税者としての心情をザックバランに吐露した。お二人、
初対面でありながらも熱海の再生に建設的な思いで合致、プロジェクトの
実現に向けて前向きに考える事で有効的な話し合いとなった。残念ながら
現段階では詳しい事は話せないものの12月定例会までには報告できる予定である。

昨日の横浜みなとみらい万葉温泉で6年ぶりに邂逅した高野山真言宗準別格本山
”御所房”巴陵院の浦上前官とは喜多薫氏(岸和田喜多クリニック院長)を通じて、
お近づきになっていた。そして、高橋弘会長(万葉倶楽部)は初対面となるのだが、実は、
小生のブログの中では、弘法大師つながりとして既に登場していた。その
不思議な縁について高橋会長もしきりと首を傾げるのだが、
縁は異なもの味なものを地でいくような奇遇について、先ず、2006年9月8日にアップした
高野山「巴隆院」での奇遇を6年ぶりに再投稿して振り返ってみたい。



弘法大師「空海」は、日本真言宗の開祖で中国から真言密教をもたらし、
書道家としても能筆で知られている。「弘法にも筆の誤り」「弘法筆を選ばず」や、
「護摩の灰」などの諺や慣用句を今に残している。また、
弘法大師が発見したとされる温泉は、日本各地に存在するといわれ、
山形、 福島、 新潟、
群馬、山梨、長野、
愛知、和歌山、鳥取、
熊本 、佐賀 長崎県と 、
広範囲にわたって各地の名湯温泉を発見したといわれ、なんと!、
熱海市の”伊豆山温泉”も、空海によって発見されたと記されている。
その「空海」縁の高野山には、「DR喜多」の叔父さん、
故喜多頼一さんが戦後間もなく、「巴陵院」に、出家しており、
このご縁により「DR喜多」は、節目節目に何度も訪れていると話す。

高野山真言宗準別格本山”御所房”巴陵院は、古来御所房(坊)と号し、
御皇室ゆかりの寺院として、高野山内第一の格式を有している。
その由来は、足利第百四代後柏原天皇、第三皇子が住され、
「巴陵院」(はりょういん)を、御皇室の宿坊と定め、親王が奏聞されて、
1525年、「禁裏御所房」の、御綸旨を賜ったという。
その際、時の院務円弁法師が、勅令を受けて唐船「高麗船等貿易船」の祈祷を修し、
以来海上安全等の祈願所となった。当時は「福蔵院」と称していたが、
その後戦国から江戸時代に入り、相馬・高木・伊達各大名の、
菩提寺となり、1653年「相馬義胤公」(よしたね)の、法名により、

「巴陵院」と改称し今日に至っている。「御所房」の御綸旨とその由来書は、
現存している。ここでは、毎朝6時30分より、
「当山秘法特別護摩」を厳修しており、座禅(数息観)の指導もしており、
悩み事・相談ごとなども、それに伴い取り組んでいる。

「高野山」巴陵院での奇遇

故喜多頼一氏の思い出や、「DR喜多」のご子息「まこと」さんの、
”大阪府議”立候補に関する、選挙区内の友人知人のリスト並べたあと、
浦上前官は小生の名刺をこねくり回すように見つめ、
ーほぅ~っ、熱海ですかー、
実は私は・・・・・・。何と驚くなかれ。「浦上前官」は、
熱海市に住所のある寺院、「喜峰院」の住職を兼ねているではないか。
空海の”伊豆山温泉”発見は、泉を探り当てた際に教祖たる空海の名を借用したとしても、
DR喜多~小生~浦上前官が、熱海というキーワードで繋がったのは、
単たる偶然なのだろうか。この奇遇に、この広間に座した全員が、
目を丸くして顔を見合った。こうなると座は一気に盛り上がり、
「喜峰院」住職兼務の経緯や、管理運営に至るまで、
様々な知識を賜ったのである。それから約一時間後、有意義なお話し頂戴し、
「巴陵院」を離れたのである。

 

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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