岸衛元熱海市長の「観光立国」を読み直せ!

午前中は観光部長と午後からは市民部長と打ち合わせた後、上京する。
午後2時31分発の新幹線で東京へ。丸ノ内線で赤坂見附で下車、
野呂裕司氏(株式会社UGデザイン社長)の事務所へ入る。野呂氏は

亜細亜大学進学後4
年生の時に、東京箱根間往復大学駅伝にて
7区出場(第78回大会)
選手である。現在は印刷会社のトップとして
ネットを中心にHP制作や広告デザインまで幅広く受注している。

野呂氏からは過日、熱海温泉が駅伝アスリートの合宿条件に合うか、
杉山観光課職員と市内を探索しており、現在、大学駅伝の担当者と
条件等について詰めているところだが、今日は、

一般社団法人「日本チアダンス協会」との面談をセットして頂いた。

むろん、ここでの話しも熱海温泉での合宿についてである。内容については
明日以降、静止画と動画でお伝えすることにして、今日のブログは

戦後初代の市長となった岸衛氏について。岸市長の就任期間は

1947年4月6日~1948年7月12日と短期間だったが、
観光産業の近代的自立、日本のスイス化を提唱、
伊豆半島の観光客増と活性化に道路網の整備促進を唱え、また、

外国人観光客誘致の重要性や港湾整備などを進め、
熱海ホテル創設者として熱海温泉の一時代を築き上げている。
それだけでなく、
大正15年には「国策としての観光政策」、「観光庁」の設置を説き、
観光政策と経済の一本化や国営ホテルを提唱している。

昭和23年、内閣観光事業審議会理事を務めていた際、当時の
石坂泰三内閣観光事業審議会会長あてに広域観光圏の確立も提唱している。

その岸氏のお孫さんからコメントが入っているのでご紹介する。

ー偶然本ブログを拝見し大変驚きました。私は岸の孫に当たります。

母 の父が岸衛で、私も「観光立国」を一冊所蔵しております。また、
祖父が思い描いた熱海の姿を鳥瞰図にしたものも、以前私の家にございましたが、
今は、別の 親族が保管しております。祖父の死後、長い間が経ちましたが、

いまだに祖父の唱えた観光立国をご記憶頂き、
改めて熱海の将来の為に見直しをお考えの村山先 生に、敬意を表するとともに、
祖父と「観光立国」をご記憶頂いていた事に感謝申し上げます。
微力ではございますが、私に出来ることが御座いましたら、
何な りとご協力をさせて頂きたく存じますー

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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