今朝もW散歩で汗を流し納得の幕開けとなった。午前10時ジャスト、
石森史郎氏が宿泊したホテルサンミ倶楽部に。車で網代へ。
網代は干物の〆竹商店へ。昨日午後、温泉を楽しんで自宅(鎌倉)に帰った、
黒井和男氏と石森氏へのお土産に、
〆竹の脂の乗った味醂干しセットの詰め合わせを注文していた。
〆竹の富岡雅人社長は元映像制作ディレクター。
各TV局や国際放映(メディアシティ)での仕事も下請けた過去もあり、
石森氏とは初対面ながら話しが弾んだ。
天日干しの現場を動画に収め、熱海市役所へと急いだ。
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役所では秋田観光課長を控室にお出でいただく。昨日、
黒井氏から念を押されたのが、
熱海フィルムコミッション登録の有無だった。残照ハウス設立にしろ
映画祭創設にしろ映画テレビ業界との交流に、
熱海にフィルムコミッションがあるかないかでは、
関係者の意識が大きく変わってくる。つまり、付け焼き刃的な発想で
映画人を囲い込んでも効果が薄いと云うことだろう。確か、熱海市でも
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商工会議所がフィルムコミッションを担当している筈だが、
映画テレビプロデューサー協会発行の手帳には
熱海フィルムコミッションは登録されてはおらず、その辺の事情を
所管課である秋田課長にご意見を伺い、これまでの
経緯についてや今後の方向瀬について明日までに資料をお願いする。
その他、石森氏は、熱海が国際観光温泉文化としてアピールするなら、先ず、
イメージを変えることだ。と、Hawaiiを引き合いにだす。
読み方はそのままで、
AtamiをAtamiiにチェンジすることで、
外国人観光客のAtamiに対するイメージが一気にアップすると、
持論を展開した。この他、石森氏を前に、日本映画市場初、
中学生監督で話題となった、
仲村りゅうご監督「やぎの冒険」を製作した
株式会社シュガートレインの、岡憲史プロデューサーをご紹介頂いた、
大阪の佐古隆伸氏(喜峰院)に送って頂いた、
高野山のゴマ豆腐の御礼とともに、沖縄映画を評価する石森氏と
沖縄に表敬訪問する意思のあることを伝える。午後一で
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石森氏を熱海駅までお送りし事務所に戻る。では、
昨日の続き、熱海残照ハウスの基本的運営方法と
生活様式の条件についてのたたき台を昨日に続いてご案内する
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◎ ただ老いのままに日々を送るのではなく、
元気印の証拠としてたとえばハイキング部、演劇部、朗読会部等、
月一回の割合で実施すれば入居者の生き甲斐にもなり、
地域住民との交流を深めながら
新しい文化の発信基地となるような施設にしていく。
◎ 入居者の健康管理は地域医療機関と提携して行うが、万一
寝たきりの状態になった場合は他の期間にその後を委託し、
施設は退去を条件とする。
◎ 誰にも必ず訪れる「死」という避けえない問題に対しては、
仮に施設内で最後を迎えた場合は施設の責任で葬儀を行い、
墓地のない人は、東京牛込柳町にある
幸国寺の琉璃殿故人墓に納め(有料)、宗派を問わず永代供養を依頼する。
◎ この施設は当面、10~15人程度の規模で始め、
活字媒体、映像媒体などの協力を得て社会的に認知度を広げながら、
徐々に組織の拡大をめざす。と、なっている。