具志堅用高氏といえば、元ジュニアフライ級世界チャンピオン(WBA)。
王座を13度防衛した記録は、現在も
日本人世界王者の最多記録として破られていない。経歴を検索すると、
引退後は解説者として、また、日本人初の世界チャンピオン
故白井義男氏と共同で、白井・具志堅スポーツジムを開設し
後進の育成に力を注ぐ一方、
太田プロダクションのタレントとしても活躍している。
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具志堅氏とお会いしたのは昨日で2度目。一度目は、
高橋弘会長のジャンボ−ゴルフコンペ。場所は韮山カントリー。
繋がりを聞いたところ、高橋会長が、
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白井・具志堅スポーツジム後援会(SGS)の副会長を務めながら、
140人の会員の異業種交流会で人脈を広げていた。そんな経緯があり、
昨日は、SGSの総会兼懇親会が開催されたことで、
高橋会長からお誘いを受けたのである。場所は、
銀座7丁目ライオン銀座6階クラシックホール。このパーティでは、
出席した多くの方々と名刺交換することができた。
このでも注目を浴びていたのが、高橋弘会長だった。ここでも、
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docomoの携帯をかざして式次第を動画撮影、それを、
iPone4にアップされたものを、同席メンバーに見せ、驚かせていた。また、
ビックリしたのが、会長と同じ名前。高橋弘。この名前と
全く同姓同名の方が進行役を務めていたことだ。この方は、
弘法大師空海と無縁だったが、元、警視庁万世橋警察署長。現在は、
チャンピオン会の後援会長、鈴木孝夫氏が経営する、
SECエレベーターの役員で懇親会の事務局を担当していた。
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・・昨日はこの他、DR水素水でお馴染みの
株式会社FDR・フレンディア(大丸智里社長)を訪問する。
ここでの話しは、後日ジックリご紹介するとして、
具志堅氏の懇親会に出席する前には、
大川啓一氏(東京ジャーナリストクラブ)と、
有楽町の喫茶店にて打ち合わせする。大川氏は現在、
週刊誌等の紙メディア以外に日テレ報道番組の一端を担っており、自ら
小型ビデオカメラを携行して取材活動を続けている。この大川氏の
取材活動やスクープをいち早く動画と静止画、
記事を網羅した新しい動画ネット立ち上げの方向で調整している。さて、
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・・・・話しは、かつての熱海市長で、
昭和21年、時の政府に観光政策と経済政策の一本化を献策した、
故岸衛氏に戻そう。昨日は書けずじまいだったが、
・・・昭和23年当時、岸氏が理事でもあった、
内閣観光事業審議会(石坂泰三会長)に提出したのが。
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◎観光庁の設置
◎国際観光の振興
◎外資の導入のほか、富士五湖・猪之頭より山麓を巡り、
伊豆半島を一周し、箱根を入れた広域を一地区として、
フジヤマ県として行政区域を整理するという案だった。この
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フジヤマ県は山梨、静岡、神奈川県の三県によって構成され、
霊峰富士山を中心とした周辺全域を一つの観光地域として
統一、開発するというスケールの大きな構想だった。現在の、
観光圏設立をみるまでもなく、岸衛氏の予言の正しさは証明されている。
・・・その岸衛氏の親族から、小生のブログに、
・・・・下記のようなコメントが届き、驚かせた。
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ー私は岸衛の曾孫にあたる、◎岩◇樹と申します。
偶然にも、岸衛で検索したところ村山氏のホームページを観覧致しました。
熱海の古い資料や岸衛が残した資料が我が家には残されています。
岸衛が残した「観光立国」が
現代にも読み継がれていることにただただ驚きを感じています。
「観光立国」日本、熱海の発展を心より願っておりますー
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・・・早速、このコメントを寄せられた親族の方に連絡を入れる。
是非、近いうちにお会いできることに感謝を申し上げたが、この方は、
熱海市とそう離れていない地域に居住しており、今後、
ブログが結んだ”縁”を、熱海市再生へのヒントとして、
どのような人脈の広がりをみせていくのか、夢は尽きない。