京都から熱海まで

ブログアップするため、自宅PCを前にすると電話が鳴った。
都築基氏(都築鉱産副社長)からだった。「ホテル百万石」のバーから、
熱海の夜景を臨みながら一杯やっているので、付き合ってとの誘いだった。

ホテルバーでは都築氏から、高橋弘会長(万葉倶楽部)と
30年来お付き合いあるという、「松田産業」社長と親しいことを聞かされ、今度一緒に
ゴルフにお誘いして、という、メッセージを携帯動画に流したり、ホテルの
女性マジシャンから、テーブルマジックを楽しませて頂くなど、
高級ホテルのバーの雰囲気を味わった。ただ、ここでも、

不思議と言うか、偶然と言うか、縁を感じたのは、女性バーテンダーがなんと、
一昨日、小林ご夫妻から食事を招待された、渚町の
イタリアンレストラン「MON」で隣に座っていたお客さんだったことが、
バーテンダーさんの口から説明されたが、
雰囲気が違うせいか記憶になかった。明日、

都築氏と昼飯を共にした後、熱海マリーナにお連れした際に、
その話しをしながら、ホテルバーでの出来事を写真と交えて掲載し、
京都からここまでの経緯を、写真で綴ることにしたい。今日は、

京都市内の有名蕎麦店で昼飯し、
午後の新幹線で戻る予定だったのだが、急遽、
午前10時56分のひかりで戻ることにした。京都駅ホームでは
新幹線ひかりを待つ間に、急に、烈しい雨が振り出した。

豪雨に目を奪われていたら何故か、青春時代の記憶の断片が刺激された。そうだ、
京都には、ホテル池田でのバイト時代には社用で、
また、新婚旅行も京都だった。それに、愚妻の両親を連れての家族旅行など、
節目に何故か上洛していた。また、小生と同じ、北海道出身の怨歌歌手で、

1970年代日本の歌謡界を席巻した「藤圭子」さんの代表曲の一つに、
「京都から博多まで」(阿久悠作詞)という名曲があった。確か、
”窓に冷たい小雨が重い、想い切れない未練が~”、そ
んなフレーズが蘇ってきたのである。と言っても、車内に入るとそんなことも忘れ、
ウトウトしている間に熱海駅に到着してしまった。

急用を済ませ、昼飯には熱函道路沿いにある、蕎麦屋「十割」まで車を飛ばすと、
店内には、月一親睦会のメンバー鈴木氏親子が先客としてテーブルに座っていた。
食事後、愛犬ふ~とし西熱海分譲地を散歩して、自宅に戻ってから、
久しぶりに「KKRホテル」のサウナを利用する。

帰りがけに市内を散策すれば、久しぶりに午後から晴れ間の出た温泉場には、
カラフルな軽装の家族連れで賑わっていた。明日の花火も晴れるといいのだが。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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