佐世保商業高校”野球部主将”

今朝の散歩は暫らくぶりで、
従来の山道コース(緑ヶ丘周辺)を、
愛犬「ふ~」を先導にトライする。
下肢静脈瘤の抜去から、
今日で21日目となり、
”断酒”は継続中だが、
散歩に関しては、
咲見町の自宅から、
熱海観光港埋立地周辺を、
往復するなど、
軽めのリハビリを兼ね調整していたせいか、
出だしで若干の息切れを感じたが、
少し登坂しだすと、
完全に元のペースに戻った。
「パサニアクラブ」(市道来宮土沢線)から見る、
相模湾は、
朝日の清々しい陽ざしをうけ、
細かいガラスの欠片を撒いたように、
きらきらと”秋色”に染まり揺れていた。
午前10時から、
熱海市議会9月定例会の
最終日が開会され、
追加議案、
・人権擁護委員候補者推薦外が上程され、
各常任委員長報告のあと、
討論が行なわれた。
共産党、民主党の反対討論の後、
採決が行なわれ、閉会となった。
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さて”なんば”(正確には心斎橋)、
西武の土井ヘッドコーチと、
池乃めだか師匠のスナック、
「キャット」で、
酒を飲み交わしたという、
松本哲治氏(タックワールド)は、
「長崎佐世保商業高校」、
野球部キャプテンとして活躍し、
今春の”選抜高校野球大会”で、
準優勝した、
”長崎清峰高校”野球部の、
「吉田」監督は、
松本氏の9歳年下の後輩だ。
土井正博ヘッドコーチといえば、
野球選手として
デビューした当時からネット検索すると、
1961年、大鉄高校を中退し、
近鉄バッファローズの”別当監督”に
見出され
18歳で4番打者を務めて活躍。
1975年、太平洋クラブライオンズに移籍。
その年、
40本塁打を放ち本塁打王に。
1981年、現役引退、
西武の打撃コーチに就任したのは、
翌年のことで、
清原和博選手らを育て、
6年後に退団した。
1995年、再び打撃コーチに復帰し、
2002年に退団したが、
2年後には、
西武ライオンズのヘッドコーチに就任し、
伊藤監督の下、
最後まで優勝争いに加わった。と、ある。
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西武ライオンズといえば、
気になるのが、
「松坂大輔」投手の去就である。
ポスティングで、
大リーグ行きが決定し、
ヤンキースを始め数球団が、
獲得に名乗りをあげ、
水面下で激しい綱引きが行われている。
との、ニュースが
スポーツ各紙に掲載されており、
その辺の情報を尋ねると、
迷惑をお掛けしたくないので、
ー松本の推測として聞いてーと、
前置きした上で、
松坂投手は”25億円”でまとまり、
球団はその収入で、
現在[阪神タイガース」が一歩リードしている、
今季”FA”宣言した、
広島カープの”黒田投手”を獲得したい意向で、
”13億円”(何れも年数その他詳細は不明)を、
用意しているようだ。と、話す。
”キャット”では芸能・スポーツ界の
レアな情報が入手できるため、
めだか師匠がいる居ない関係なく、
何時行っても満席状態である。
このあと、
「ナイスポ」の円山社主が、
関西ナイスポの梶原社長他社員と合流、
”カラオケ”あり、”訓示”ありと、
小生等も一緒になって、
午前1時過ぎまで”キャット”で交流を深めた。
しかし”飲まない”というのは、
こんなに”笑えない”ものかと、
作り笑いを拵えて、
キャットのスタッフに遅くまで”ど~も”と、
労いの声をかけ解散したのである。

4 Comments

  • 素晴らしい ブログを お忙しいのに 毎日 きちんと書いていらっしゃるのに 感激しております。 お忙しいのに これだけまとめるのは どの様にしていらっしゃるのかと 暇な私には 想像を絶します。 文章だけなら まだしも 写真まで 編集して!! 全部ご自分で されるのでしょうか? 市長が代わり 熱海が変ることに 期待しますが 村山さんの 市長感は いかがなのでしょうか? 私としては 若い市長に 勉強してもらって よい 改革を期待するのですが・・・
  • 村山憲三
    はい、全部一人で書き込んでいます。 で、小生が現時点で、 市長の立場を斟酌すれば、 側近と目される議員や 取り巻きにだけに耳を傾けるだけでなく、 吏員を先ず味方に付け、 財政的数字を把握して、 ムダを是正する為の施策を 立案し実行することが、 先ず、 改革の基本ではないかと思います。 そのためには、 言って聞かせて、 させてみて、 誉めてあげることで、 吏員のやる気を引き出すことが出来れば、 選挙選のシコリが徐々に解れ、 来年度の予算編成を目処に、 ”斉藤丸”の船出が 始まるのではないかと、 抽象的な言い回しですが、 小生は思っています。 今のところ ”彼の実力は未知数”です。
  • 松本 哲治
    土井コーチといろんなお話し出来て感無量でした。 名球会にも名を連ねる歴代のスラッガーの、その気さくな人柄にも触れさせていただきました。 紹介してくれた「山下社長」有難うございます! 長年のお付き合いということで、気心知れた間柄 のご様子が伺えました。 片田舎の弱小野球部とはいえ、純粋に甲子園を夢見て 野球に打ち込んでいた学生時代を思い出しました。 この写真の向かいには、名古屋から来られた「朽木社長」が めだか師匠となにやら楽しそうに話をされてたこと追記させていただきます。 先生も最近お会いしてないと思いますが、「波多野社長」もお元気でしたよ~ また名古屋にも行きたいですね!
  • 村山憲三
    行きたいで~す。

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