さて、今日は昨日登場した「佐口会」のメンバー、
花村四郎さんを
ご紹介しながら、
昭和54~55年代の印刷屋時代の
小生の一部にも振り返ってみます。
花村氏は、現在国道135号線沿いで、
スナック「花倶楽部」を経営しています。
小生とは昭和55年以来のお付き合いです。
小生の議会登壇日には必ず傍聴席から、
質疑応答に対してチェックを頂いています。
彼とお会いしたキッカケが、
当時小生が発行していた飲食店を中心とした、
「PRチラシ」たうんタウン熱海の、
広告主代理としてだったと記憶しています。
ですから彼はかれこれ
小生が知り合ってから約25年が経過しています。
当時の彼は、お客に対し徹底的に遊ばせ、楽しませ、
”幇間”的なサービス精神で人気者でした。
(昭和55年8月9日クラブロビー時代の花村氏) (写真右は貞方氏と現在の花村氏)
(昭和56年2月22日発行のPR紙とクラブべユーズ時代の花村氏)
昭和55年当時は花村氏は、
熱海のど真ん中、
中央町坂本ビル一階で「クラブロビー」の店長で、
名前を「高橋四郎」さんと、本名で活躍。
10人のホステスさんを束ね、
当時から歌とダンスを売りにしていました。
熱海市がまだ観光客であふれ、
巷では飲食店がしのぎを削っていた昭和50年代。
たうんタウン熱海を振り返り、
思い出に残る飲食店やスタッフの今と昔、と
今なお残る”老舗”の生き残り術に、
熱海再生の一端が見えてくれば幸いです。
昭和55年8月時クラブ「ロビー」では、
生バンドが入っていました。
能勢武文とニューロビーズ。
引き語り、吉田ひろし氏が歌とダンスの担当、
当時は8トラックのカラオケがやっと、
夜の街に馴染みだして来たばかりでした。
(写真左、ロビー当時の坂上幸隆部長と客席)
(写真下段、引き語りの吉田ひろし氏)
この後、花村氏は同じ中央にある、
ニュー大松ビル2階にあった、「クラブべユーズ」の
店長として迎えらた。
ちなみに、べユーズとは、
ルイ15世ロココ時代の椅子の一種で、
シューズ・ア・ブドールと呼ぶ、
化粧椅子とか賭け事を観戦する人のため、
馬乗りに座り、肘を掛ける覗き見る椅子のこと。
と、PR紙に書いてある。
熱海の夜の街で、
今なお一線で活躍する花村四郎氏。
熱海再生には彼のように、長期にわたり健在で、
観光客に太い人脈を持つ、
業界のプロはどうしても不可欠なのです。