昭和53年市議補欠出馬

小生が熱海市議会に挑んだのは昭和53年9月だった。
市長選とセットの市議補選に出馬したのである。
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          (熱海駅前での街頭演説)
当時、市議会は空席が2議席。
市議補選は無投票で革新系が2議席獲得が予測されていた。
肝心の市長選は、現職川口美雄氏に市議1回生の
鵜沢精一氏(新かど旅館)がやや遅れて、
熱海青年会議所をバックに挑んだ。
当時の熱海市は、まだ山田弥一(大月ホテル)対畠山鶴吉(つるやホテル)
の拮抗した対立構造が尾を引いていたが、大月派が主導権を握っていた。
地元紙も、熱海新聞(久保田千秋氏)対伊豆毎日(三浦益二郎)を対局に
東海日報(野毛勝之助)、東名新聞(宮沢進)、熱海新報の5紙が
市長選を煽っていた。
鵜沢氏の台頭により、両陣営の中でも世代交代が急で、
新旧の綱引きが表面化した。
当初は双方とも社会党や共産党の自主投票を視野に
市議補選には候補者を立てない方針だった。
だが、両陣営とも牽制の為、
市議補選の候補者を選び供託金を積んでいた。
鵜沢陣営から鈴木要氏。社会党から武井氏。
小生は、新規ホテル参入者で当時売り出しの、
菊間一光氏(中央ホテル)をバックに名乗りを上げていた。
この市議補選の調整役として、
三浦氏(伊豆毎日社主)が動いたが、
田中日米露氏が割って入り、
締め切り間際に、鈴木氏を担ぎ出し
市議補選も選挙戦に突入した。


田中氏は大月派で、三浦氏とは昵懇の仲。
訳あって、市議を辞職していた。
菊間氏はつるや派の宇佐美鉄蔵氏(熱海観光協会長。金城館)
の側近として、宇佐美氏の県会議員選挙でも参謀を務めていた。
鈴木VS村山の戦いは
田中日米露氏対
菊間一光氏の代理戦争の色合いを濃くし、
市議補選も俄然市民注目の的となった。
熱海市長選をめぐる権謀術数が渦巻き、
小生は、どこ馬の骨とも分からない
泡沫候補という側面を滲ませ、
結果的には落選した。
落選したとは言え、5,901人の方から票を頂いた。
菊間氏を始め大勢の市民にお世話になりっぱなしで、今に続いている。
今後とも、昭和53年9月の貴重な経験に感謝し、
熱海市議として、熱海市再生に全力を傾注することが
長年支持して頂いた市民の皆様への恩返しとしたいものです。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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