髙橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝”わが人生” ー 別会社(ワールドカラ)設立し関東へシェア拡大 ー

昨夜は月一親睦会(佐口会)が
や~や~屋で開催された。

自宅療養中の佐口会会長の
佐口静男氏も
元気な姿を見せたが、
平石啓三郎氏(関東警備)は、
山梨事務所(河口湖)への
出張中ということで欠席したが、

メンバーには小生も含め、
65歳以上の高齢者が5人いることから、
突然襲いかかってくる
生活習慣病と
どのように向き合うかが話題となった。

さて、

髙橋弘会長の自伝、
”わが人生”(83)である。

///

ー1964年に

湯河原総合現像所へ
設備を集中させた

「日本ジャンボー」は

60年代後半、
取次店だけでなく工場も、

地元の静岡から
県外へと展開しました。

まず69年、

神奈川県中部の生産拠点として
藤沢市善行に、

一日に
カラーフィルム現像3500本、
プリントを4万枚できる
現像所を設立しました。

首都圏で急増していた
カラーフィルムの現像•焼付けの
需要に応えるためでした。

スーパーマーケットだった
建物を利用し、

「ワールドカラー」という
別会社として設立しました。

71年には水戸市に

カラーフィル現像千本、
カラプリント一万枚の
生産能力を持つ
現像所を造りました。

ゆくゆくは外国製の
高性能機械を
どこよりも早く導入しようと
考えていたので、

関東周辺のシェアを
確保するのが目的でした。

ところが

写真の現像処理能力や
会社の規模が
拡大するのと反比例して、

煩雑化•非効率化するものがありました。

事務処理です。
その最もたるものは伝票処理でした。

(つづく)

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

0 Comments
scroll to top