今日は、平石啓三郎氏(関東警備)が約2時間
午後から駅前飲食店みやまの小泉氏が小一時間ほど、
ホルミシス浴で免疫力アップを体感した。また、
夕方からは沼津市から知人が来熱した。知人は
来年開催のミス・ユニバース静岡大会主催者として、
熱海市にとっても有意義なプランを持参した。
このプランに関して、とある、市の担当者に
連絡を入れたところ、たまたま、店に伺うとの
ことで、彼を待ち、知人から詳細を話してもらい、
来熱した目的に沿うカタチで協力する。また、
プランの中身ついては、今後の展開次第で
詳しくご案内したい。さて、沼津市と云えば、
現在の小生には、飯田豊二を抜いて語れない。
当然、今晩来熱したミスにユバース関係者には
飯田豊二に関する観光振興とコンテンツに関する
企画資料を参考に差し上げる。さて、豊二を書いた
日本の近代建築を支えた建築家の系譜」の
帯の続きをコピーする。
・・・・
ー台湾に鉄道を建設した飯田豊二を始め、
数十名の卒業生の足跡をたどる。
建築家たちが各地に羽ばたき、図面を引き、
仕様書を書き、現場をまと め上げた歴史は、
熟練した技術と勤勉な精神の賜物に他ならない。
今、改て中堅技術者の教育機関として
公手学校が果たした役割を世に問う。また、
工学院大学(公手学校)出身者として登場の
飯田豊二に関して帯にこう書かれている。
縦貫鉄道の調査。1895年8月、車台台湾総督
樺山資紀が国防と統治の側面から、
縦貫鉄道を建設することは一大 急務であると
日本政府に述べ、同時に参謀本部でも
陸軍省対して同様の要求を出した。1896年3月、
日本政府は7万7千円(現在の約2億8千万円)余りの
経費をかけて台湾総督府に縦貫線の調査を命じ、
台湾総督府はこの調査仕事を
逓信省鉄道技師の増田礼作に委託した。しかし
増田の調査結果は山に近い所に線路 を引くといった
軍事の需要に重きを置いたもので、
経済効果の側面からはかけ離れていたため
再度の調査が必要となった。とあり、
飯田豊二にバトンタッチされたのである。