で、早い話、成島柳北なる人物はなぜに、
坪内逍遥や市島春城から熱海の恩人として、
崇められたのだろうか、郷土資料研究家の
小林米雄氏がかつて、日刊アタミに連載した
コラム(成島柳北)を抜粋してご紹介する。
柳北は熱海発展のためにいろいろな苦言を
呈してくれた人でもある。
①温泉寺の藤原藤房郷記念碑の再建協力
②郵便の配達不便さを「熱海郵便の議案」という
長文の論説にまとめ朝野新聞に載せ、
当局者に改正を迫りこれを改めさせた。
(当時熱海からの郵便は、朝一回6時に配達され
翌日東京に着いていたが、配達人の数を増やし
それを2回にし、その費用は旅館の大小によって
分担すれば駅逓局に願わなくても簡単に
解決されると提案し、官で足りないところは
民間が工夫すればよいではないかと説いている。
また、熱海人の商売の不熱心な点を叩き
熱海人の根性に苦言を呈したり、公園の
必要性を提言している。昨日のように
テレビ・ラジオ等々の宣伝媒体のなかった
時代においては、新聞の力と魅力は絶大だった。
その新聞に毎日のように掲載される熱海だよりは
人々の興味を呼び、熱海を訪れる客も増え、
大いに繁盛したとのことである。