昭和41年、熱海後楽園レストセンターの舞台には
下記ポスターにある、
小宮恵子、菅原都々子、霧島昇、
一節太郎、藤本二三代、小野由紀子等の歌手や
月ノ家円鏡、リーガル天才・秀才、桂米丸、
立川談志、小野栄一等が日替わり出演していた。
レストセンターではテレビの公開放送も行われ、
過日、ご紹介した
北島三郎や青山和子(愛と死を見つめて)の
大物もゲスト出演していた。
その舞台を小生が踏んだのは、
昭和40年のクリスマスパーティ。
(写真左から峯田君、菅野君、小生、蓮見君)
同期の菅野、峯田、蓮見諸君が組んでいた
バンドに飛び入り参加を要請され、ギターをカマし、
当意即妙の答えを出した、思い出がある。
これから、30数年後「北島三郎」さんや
「立川談志」さんと会うことになるとは
この時思っても見なかった。
(後日掲載)
その当時、事務所他で活躍の女子同期新入社員。男性は川崎先輩。
さて、真鍋八千代的経営哲学最終回に入ろう。
“運七”と“ステップバイステップ”が
こういう結果をもたらせているともいえそうだが、そ
れにしても行動はいたって慎重。
健全経営が鍵
「経営者の多くは金利を建設費の中へ入れたがるが
ボクは建設費は建設費、金利は金利とハッキリ分け、
金利の確保に極力つとめる。
手形は一切持たない主義だ。
だから、事業部門製をしいても、関連倒産なんかありえない。
つまり健全経営だナ。
銀行の信頼を得てそれから次の計画に移る・・・・これがボクの方針なんだ」
“大衆とともにある企業”・・・
これが真鍋社長の金科玉条だ。
座右の銘として心にキザみ「片時も忘れることがない」という。
この精神は2,500人を超える従業員ひとりひとりにも徹底している。
「120円の内容あるものを100円で売るといえば、
誰だってほしくなるだろう。
サービス業は本来そういうものなのだ。
“腹下し”(使いすぎ)を起こさせないような料金で、
しかも客のプライドを満たす。これがボクの持論でもあり、
また長い経験からえた教訓でもあるんだ」
こう話を結んで大きく笑った。
あれから40年の歳月が過ぎた。
今の熱海市の現状はどうか?。
青色吐息の観光産業を前に、
熱海後楽園創業者の経営哲学を再考して、
温故知新となれば幸いである。
7月17日の同期会。
(懐かしい、銀山男子寮での同僚たち。オガタと菊池と誰だっけ・・・?)
5月16日現在、7月17日の同期会には約100人近く
連絡が取れた中から、相当数集合する確約を得ているようだが、
一人でも多くの仲間が集まること期待して
「熱海後楽園」に関する話はひとまず
終えさせていただく。