「いや応なく人って老いて、病になる。
そしていや応なく死が訪れるわけで…」と、
去る5日、
満71歳で急逝した俳優「緒方拳」さんが、
遺作となった、
”死”をテーマにした
テレビドラマの記者会見で語ったそうだ。
”肝臓癌”で逝った、
名優を悼む報道を見ながら、
小生が描く、
熱海再生への目標を具現化するためにも、
老化が進行する暇のないように、
断酒と散歩を続行し、
ついでに、
”黒にんにく”で栄養分を補給し、
病が忍び寄びよらない体力作りをして、
支持者に感動を与えられる、
議員の一人として、
精進しなければならないと考えさせられた。
先ほど、
テレビ「必殺仕掛人」シリーズを書いていた、
脚本家「石森史郎」氏に、
WOWOWで放映していた、
「復讐するは我にあり」や、
「必殺仕掛人」での藤枝梅安役が強烈に印象に残っている。
故緒方拳さんとの
接触があったか問い合わせたが、
残念ながら無いとの返事だった。
ここでは、
石森氏と小生を”つなぐ糸”は切れたものの、
昨日午後から訪問した、
「熱海マリーナ」ではつながるのである。
どんよりとした霧雨模様の中、
珈琲とスイーツを御馳走になる前に、
マリーナに駐車して、
助手席に乗せてきた、
「愛犬ふ~」と”小山公園”を一周する。
マリーナでは、
高須基仁氏(モッツ出版)が出版し、
小林常男社長が登場している、
「高須新聞」(鹿砦社)を届け、
小林社長から、
待ってましたとばかりに、
五月みどりさん(歌手)がイメージキャラクターの、
「黒にんにく」加工サプリメントの、
新聞広告を手渡されたが、
その前に、
石森史郎氏の
つなぐ糸の先を急ぎたい。
寺山修司、唐十郎とつないだ糸は
東映映画「ボクサー」(1977年製作)だと書いたが、
石森氏はこの件について、
こう詳細に話す。
・・・・・突然、菅原文太氏より電話。
俊藤浩滋プロデューサーに薦められ、一緒に組んでやりたいという、
着流しの任侠ものは
不得手でだめですと答えると、
ヒット中の「ロッキー」のようなボクシングものだよという。
監督が決定しないまま、
一稿が上がる。
社内の反対を押し切り、
菅原文太氏の情熱で、
「寺山修司」の起用が決まる。
寺山氏は、
僕の父が校長をしていた小学区の教頭
”寺山修二”氏が叔父で、
修二氏から
甥の”修司”一家に
戦後降りかかった
不運な運命を聞かされていた。
そのことを寺山氏に話すと驚いていた。
寺山家は代々、
男子に”修”の字を付けるのがしきたりだったとのこと。
何故、
覗きに興味を抱くようになったのか、
悲しい習性の動機も、
共同出筆しながら聞かされた。
映画を知らないから、
全くカット割りが出来ず、
シーンの長回し、
演劇的なのかもしれないが、映画ではない。
それなりの評価を受けたが、
やはり”だれる。・・・・・・・・・・・・と、振り返り、
悲しい習性の動機についても、
聞かされたものの、
ここ(ブログ)では
リアルすぎるので別の機会があれば掲載したい。
また、
石森氏はこの年(1977年 昭和52年)
山口百恵、三浦友和主演の
「泥だらけの純情」で最高のヒットを飛ばし、
「ボクサー」は、
キネマ旬報ベストテン5位にはなったものの、
話題性に留まり、
残念ながらヒット作とはならなかったようだ。
今朝「緒方拳」さんに関して電話をする前、
脚本家「石森史郎」氏から
メールが届いていたので
今後の”つなぐ糸”の
伏線になるため掲載したい。
//////////// 村山殿 ////////////
先日はいろいろお話ができて有意義でした。
「ボクサー」のシナリオは,
他のシナリオと一緒に
(「暴力学園大革命」「男組」)製本してあり、
コピーできませんでしたので、
少々厚いですが、
オリジナルをお送り致します。
返却はごゆっくりどうぞ。
因みに,
「波多雅史」とはボクのペンネームです。
(つづく)