午後の暑さをしのぐさめ、
自宅でエアコンをつけながら、
TVのワイドショーを見ていたら、
今日は14年間続いた
日本テレビの人気番組、
「太陽にほえろ!」の
初放送日ということで、
数々のエピソードが報じられていた。
小生もこの番組を制作した
国際放映時代に、
ほんの少しだが、
直接間接的に関わっていたので
懐かしい思いで見入った。
1972年の今日、7月21日から、
1986年の11月14日までの全718回、
故石花裕次郎主演の
人気番組が始まったのが
45年前で裕次郎が没してから
はや30年が経過したが、
太陽にほえろ!の
テーマミュジックを聞きながら、
年月の流れの速さを実感する。
さて、
神奈川新聞連載の、
高橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝、
”わが人生”のその(61)を掲載する。
・・・・
「日本ジャンボー」を設立する
一ヶ月前の1960年11月、
私は同社の
事業計画書を作成しました。
B5版の紙4枚に
収支計画や作業工程などを
まとめたものです。
「収入は多めに、支出は少なめに」の
原則にのっとり、
当時25歳の若造ながら、
なかなか手堅い
計画を作っています。
この計画書で私は、
事業の柱が
大量処理のできる
大型自動や着付け機であること、
この機械の特性を生かすには
多くの注文を頂くことであると、
明記しています。
多くの注文を頂くために
私が考えだしたアイディアが、
多くの取り次ぎ店を設けることでした。
先に欠いた通り、
当初は直営でもうけていましたが、
やがて写真と
無関係の業種にも
取り次ぎ店になってもらいました。
焼付け•引き渡しと
現像•焼付けの処理を分離したので、
どんな業種のお店にも
取り次ぎ店になってもらうことができたのです。
(つづく)
(写真は金沢市にあった
旧起雲閣の親会社を訪問したときの一コマです)