フランク・シナトラに可愛がられた男、大丸智里氏

今朝9時より、庁舎5階会議室にて、熱海市議会の「建設公営委員会」が開催された。
昨夜からの本降りの雨が会議室の窓ガラスを叩き付け、人いきれに湿度もうなぎ上りのなか、
常任委員会所管の、平成22年度9月定例会提出予定案件について審議された。
詳しいことは、明日午後3時から同会議室で開催される予定に、
広域行政推進特別委員会が終了次第、ピックアップして報告する。今日は、

昨日ご紹介した、ドクター水素水を全国区にした、
大丸智里氏(株式会社FDR・フレンディア社長)の起伏に富んだ人生の一端をご紹介し、
”60歳からの起業”を目標にして、それを実現させた男の人生訓を、
社会文化功労賞受賞記念に幻冬社ルネッサンスから出版した、
「時の風に向かって」から一部抜粋して、試練との向き合い方、
人脈は金脈縁糸は金運についての参考にして頂ければ幸いである。

ー20代で、突然映画俳優の道を歩むこととなり、いきなり主演デビュー。
大きな転機でしたが、それからというもの、
その後の人生を大きく変えた方々に、次々お会いしました。
最初に影響をもたらしてくれたのが、旧民社党をつくられた伊藤卯四郎氏との出会いでした。
超党派で日本のことを考えられ、よくお話をさせて頂きました。
党は違いますが、伊藤先生の紹介で
元総理の佐藤栄作先生とも知己を得て、これからの日本についてお話を伺うことが出来ました。また、

上海の虎といわれていた、佐々木四郎先生の教訓も得ました。先生は、
当時上海の英国軍人に柔道を教えていた方で、戦後当時の動きをキャッチされており、
そのお話を何回も私はしつこく聞き、後の私の生き方にも影響を与えて下さった方のお一人です。
松下電器産業(現パナソニック)の最高顧問、毎日新聞の社友をしておられた
大谷貴義先生とは家が近かったので、よく朝早く先生のご自宅の訪問させて頂きましたが、
いつも大勢のトップ企業の方々がお見えになり、
先生はいろいろな人々の間をつないで紹介していました。なかには、
箱根のホテルの下足番までお世話するなど、大変面倒見がよい先生でした。





そして、私が非常に心を傾注した人物、世界的エンターティナー、
フランク・シナトラ氏との出会い。私は彼のもと、
ロスアンジェルスで修行させていただき、本当に多くのことを学びました。このように、

貴重なこれらの出会いを経験して、
各先生方の教えが私の心の中に息づいていくことになるのです。その教えから、
私は誰にもとらわれない信念を持ち、年代ごとにテーマを決めて過ごしています。

これまで携わった仕事のひとつひとつの職場に対しては、
苦しいことがあっても試練と考え、この試練を竹の節にして今日があるのです。
この考え方の根幹は、かつてアンデス山脈に
アスリートを大勢乗せた飛行機が墜落してたどる過酷な運命を記した本でした。それは、
雪深い山のなかで、援助が来ないまま次々と仲間が死んで行く地獄のような状況を、
亡くなった仲間の肉を干して待ち歩きさまよいながらも生き抜いたと言う実話です。

そこには、—神様、私たちにどんな試練を与えて下さっても結構です。でも
この試練を無駄なものにしないで下さいーと、
祈りつつ村にたどり着いたとありました。この本を読んだとき思いました。
私がいるこの平和な世界だったら、どんな試練にも耐えられると。
私の人生プランは「60歳より起つ」という方針で今日まできました。
どうかひとりでも多くの方に少しでもお役に立てれば幸いです。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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