「高野山」巴陵院での奇遇

弘法大師「空海」は、
日本真言宗の開祖で
中国から真言密教をもたらし、
書道家としても能筆で知られている。
「弘法にも筆の誤り」
「弘法筆を選ばず」や、
「護摩の灰」などの諺や
慣用句を今に残している。
また、
弘法大師が発見したとされる温泉は、
日本各地に存在するといわれ、
山形、 福島、 新潟、
群馬、山梨、長野、
愛知、和歌山、鳥取、
熊本 、佐賀 長崎県と 、
広範囲にわたって
各地の名湯温泉を発見したといわれ、
なんと!、
熱海市の”伊豆山温泉”も、
空海によって
発見されたと記されている。
その「空海」縁の高野山には、
「DR喜多」の叔父さん、
故喜多頼一さんが戦後間もなく、
「巴陵院」に、
出家しており、
このご縁により「DR喜多」は、
節目節目に何度も訪れていると話す。
高野山真言宗
準別格本山
”御所房”巴陵院は、
古来御所房(坊)と号し、
御皇室ゆかりの寺院として、
高野山内第一の格式を有している。
その由来は、
足利第百四代後柏原天皇、
第三皇子が住され、
「巴陵院」(はりょういん)を、
御皇室の宿坊と定め、
親王が奏聞されて、
1525年、
「禁裏御所房」の、
御綸旨を賜ったという。
その際、
時の院務円弁法師が、
勅令を受けて
唐船「高麗船等貿易船」の祈祷を修し、
以来海上安全等の祈願所となった。
当時は「福蔵院」と称していたが、
その後戦国から江戸時代に入り、
相馬・高木・伊達各大名の、
菩提寺となり、
1653年「相馬義胤公」(よしたね)の、
法名により、
「巴陵院」と改称し今日に至っている。
「御所房」の御綸旨とその由来書は、
現存している。
s-CIMG107311.jpg
ここでは、
毎朝6時30分より、
「当山秘法特別護摩」を厳修しており、
座禅(数息観)の指導もしており、
悩み事・相談ごとなども、
それに伴い取り組んでいる。
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故喜多頼一氏の思い出や、
「DR喜多」のご子息「まこと」さんの、
”大阪府議”立候補に関する、
選挙区内の友人知人のリスト並べたあと、
浦上前官は小生の名刺を
こねくり回すように見つめ、
ーほぅ~っ、熱海ですかー、
実は私は・・・・・・。
何と驚くなかれ。
「浦上前官」は、
熱海市に住所のある寺院、
「喜峰院」の住職を兼ねているではないか。
空海の”伊豆山温泉”発見は、
泉を探り当てた際に
教祖たる空海の名を借用したとしても、
DR喜多~小生~浦上前官が、
熱海というキーワードで繋がったのは、
単たる偶然なのだろうか。
この奇遇に、
この広間に座した全員が、
目を丸くして顔を見合った。
こうなると座は一気に盛り上がり、
「喜峰院」住職兼務の経緯や、
管理運営に至るまで、
様々な知識を賜ったのである。
それから約一時間後、
有意義なお話し頂戴し、
「巴陵院」を離れたのである。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

3 Comments

  1. はじめまして。
    ブログ、いつも拝見させていただいてます。
    >熱海市の”伊豆山温泉”も、空海によって発見されたと記されている。
    熱海と空海に繋がりがあるとは、知りませんでした!
    ちなみに、何(の書物)に記されてるんでしょうか?ちょっとした興味ですが・・。

  2. ウィキペェディア
    (ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7)
    です。

  3. はじめまして。

    奇遇な上記記事の内容!!
    それに、この度の、このページの出会い!!
    驚かされるばかりでございます。

    私は、現在大阪在住の者で、前官(浦上隆彭)様の弟子でございます。
    数年前より、静岡県の宗務所と高野山金剛峰寺宗所とのやりとりのなかで

    今は、高野山真言宗 喜峰院 信楽別院としまして
    滋賀県甲賀市信楽の方に移しました。

    前官様が月に一度現地へ、大師講なる行事でお参りされております。
    私も何度か、前官様と車で参っております。

    未だ、書類上最終的には完全に終結されてないようですが
    1昨年に、前官様の依頼によりまして。
    私が、熱海の喜峰院の住職とし。昨年は高野山金剛峰寺本山にて
    住職辞令親授式を受けてまいりました。

    また、貴方さまのブログ・HPを時間かけ拝見拝読させていただきます。

    簡単でございますが、メールにて失礼しました。

    大阪市浪速区桜川1-4-31 佐古隆伸より

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