明治維新後に熱海温泉を広めたジャーナリスト、「成島柳北」の記念碑。

このブログを通じて、
何度もご案内してきた、

飯田豊二(1897~1913)。

飯田豊二は、
沼津市出身の鉄道技術者で、

台湾が

日本の統治時代に
台湾総督府鉄道部所属の
技師として、
台湾に貢献したことで、

今でも台湾高雄市では
市民から崇められている
人物である。

その豊二の義父が、

明治のジャーナリストで
熱海温泉を世に広めた、
功労者の一人、

成島柳北である。

成島は江戸末期に
幕府に使えた、
将軍侍講だった。

詳しくは後日記載するが、
成島柳北は、
明治維新以降は
朝野新聞社主となり、
ジャーナリストとしても
活躍した人物で、

マリンスパあたみの
公園内には
石碑が建っているものの、

成島柳北を知る
市民や観光客はいない。

その成島柳北と、
義理の息子飯田豊二が、

奇しくも、

明治150年、
尾崎紅葉生誕150年の
記念すべき時に、

台湾高雄市と
熱海市を結ぶ
夢の架け橋となって
甦ってきたのである。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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