熱海芸妓置屋のルーツと今後の展開を試案する。

熱海芸妓置屋のルーツを
小生が看板を継承した
置屋市山の先代、

北野さん(中村和子)さんに

聞いたところ、

熱海芸妓置屋のルーツは、
1895年(明治28年)、
湯河原熱海間約10,4キロに
人車鉄道が敷かれ、
熱海駅の誕生とともに、
北野さんの義祖父、
中村新次郎が
熱海駅長に就任した際に、
「喜美家」を開きいた

明治の鉄道王といわれた、

雨宮啓次郎が開設した
「人車鉄道」熱海駅長に、

北野姐さんが嫁いだ
中村家の義祖父の長男、
中村新次郎が
赴任したことに始まる。

その新次郎の妻が
遊芸師匠市山流3代目、
市山直治(中村かね)だったことから、

湯治客に

”遊芸師匠”として、
日本舞踊を披露する事を
新次郎に薦められ、

開業したのが、

熱海初の芸妓置屋
喜美家である。

ルーツである
喜美家の芸者衆の踊りは明治維新後歌舞伎の
時代考証を担当した

”市山”流を家元とした
日本舞踊を披露していたが、

現在は花柳流が本流だ。

そんなこんな、
北野姐さんが継承した
市山流は
100年以上の歴史をもち、
熱海芸妓置屋もまた、
明治維新後の熱海温泉が
飛躍的発展の原動力となった
鉄道の発展と共に
歩んだのである。
その北野姐さんから
継承した
芸妓置屋(市山)が
どのような形で、
新たなるお披露目できるか、
その準備は進んでいる。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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