髙橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝”わが人生”(58) ー1960年25歳で、日本ジャンボー設立ー 

豊洲新市場に進出予定の
髙橋弘会長(万葉倶楽部)の
千客万来プロジェクトをめぐって、

小池東京都知事が
施設運営業者(万葉)に対して、
誠意を持って誘致したい、

との、意向であることが、

メディアが報じている。

築地との兼ね合いで
分散する集客に対して
ソロバンが勘定が
合うのかを含めて今後、
本格進出か或は撤退か、

近くにいるものとしては
目の離せない状況となってきた。

さて、その

千客万来プロジェクトを率いる

髙橋弘会長の自伝、
”わが人生”その(58)回目を掲載する。

ー1960年、25歳の私は
静岡県熱海市に
「日本ジャンボー株式会社」を設立。

米国製の大型自動や
焼付け機を導入し、
写真プリントの大量処理を
実現しました。

社名のジャンボーは、

この機械がプリントする
写真のサイズに由来します。

当時日本で
一般的だったサイズは
長辺12、7㎝、
短辺8,9㎝の手札版と、

手札の倍のキャビネ版、
手札の半分の
名刺判の3種類でした。

特に親しまれていたのは
名刺判です。

大きさは業者によって
多少の差はありましたが、

長辺9㎝、短辺6,5㎝程度で、

値段も15円と最も手頃でした。

ところが私が導入した
大型焼き付け機が
プリントする写真は、

上記3サイズとは少し違い、
手札版より一回り小さい
長辺11,4㎝、短辺8,2㎝でした。

しかし価格は大量処理で、
名刺判より5円安い
10円で提供できました。

つまり、

「サイズはおおきく、値段は安い」のです。

このことを
全面にアピールしようと、
社名に

「ジャンボー」を使ったわけです。

(つづく)

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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