高橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝”わが人生”(44) ー19歳から25歳まで取り組んだ登山ー

最近は週に2日程度の割合で
上京しているが古希を過ぎてから、
あちらこちらの友人知人との、
交流が深まり嬉しい限りである。

今日は飯田橋から自由が丘へ。
自由が丘ではとある漫画家に、
新宿歌舞伎町「ペネロープ」の
イメージキャラクター創作他の
打ち合わせを兼ねて、
中平行治氏と伺う予定である。

さて、

高橋弘会長の自伝、
神奈川新聞に連載された
”わが人生”その(44)を転載する。

・・・

ー荷物が少しは減るからです。
写真アルバムに
私はこう書いています。

「背のリュックの荷は
まだ一つも減らない。
第一日目であるから特にこたえる。

そんな時の休息は
下界の何の喜びに値しようか」

4月末というのに
雪がたくさん残っていました。

バスが通る道は、
雪崩で落ちてきた雪で積もった
「デブリ」だらけで、

一歩一歩大変緊張しました。

登るにつれ、
積雪が深くなっていきます。

いよいよ雪山に入っていくのです。

19歳で東京の山岳会
「登嶺会」に入った私は、

仕事と平行し、25歳まで
本格的な登山に取組みました。

初の縦走は、
入会した1955年の
ゴールデンウイークでした。

会の先輩3人とともに
新潟県の「越後三山」に挑戦したのです。

山に入って2日目からは、
ピッケルやアイゼンを使った
雪山登山でした。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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