昨日も上京する。
大阪から上京した親友の
宮崎文隆氏(不動産業)と
新宿歌舞伎町ヘアーサロン
「PENELOPE」のオーナー、
中平行治氏からお誘いを受け、
銀座三笠会館3階吉野にて、
安田尚子山王ロータリークラブ会長や
細川淳一筑波大名誉教授、
辻丸久仁氏等
医療関係の皆さんと会食しながら、
熱海と医療、終の住処をテーマに
親交を深めた。その他、
櫻◯寛氏(TAOエンタープライズ)、
関◯友之氏(株式会社◯リオ社長)等を
訪問し午後8時過ぎに帰宅した。
個々の詳細は後日として、
先ずは、
高橋弘会長(万葉倶楽部)の
”わが人生”の続きを掲載したい。
・・・・
「運転手さん、湯河原まで頼みます」
1935年7月10日、私の父
髙橋祥太郎は弾んだ声でそう言い、
勤務先のある
静岡県•熱海市の市街地で
タクシーに乗り込みました。
「お客さん、何かよいことでも
あったんですか」
「うん。長男が生まれたんだ」
「跡取り息子だよ」
私が生まれた日父は
タクシーで湯河原にある
母のスガ子の
実家に向ったそうです。
車中でこんな会話が
なされたかもしれないと
つい想像してしまうのは、
60年後、
こんなことがあったからです。
父に、俺「弘」って云う名前、
気に入っているんだけど、
どうしてつけたの」と
訊ねてみたのです。
父はタクシーの運転手さんの
名前からヒントを得たのだ。と、
話し話してくれました。
父が没する一年のことでした。
(つづく)