明治維新以降の熱海の芸妓置屋のルーツ(喜美の屋)誕生にまつわる話①

今日は浅草木馬亭で開催中の
劇団浅草21世紀秀月公演、

”真夏の夜の夢”を、

石森史郎氏(脚本家)と観た後、

2~3都内の友人と顔合わせし、

故吉村卓三氏(動物学博士)を
偲ぶ会(大森東急H)に
出席する予定であり、また、

明日も上京し、今度は、

港区の三田病院にて
愚息の”骨棘”除去手術”に
立ち会う予定になっており、

こも間を利用して、

熱海芸妓置屋のルーツである、

「市山」とその芸を伝承する
家元・北野姐さんに聞いた、
あ話を総合してお伝えしたい。

正直言って、
北野姐さんから自身の祖父が

明治の鉄道王といわれた、
雨宮啓次郎が開設した、

「人車鉄道」熱海駅長に、

北野姐さん(中村和子)が嫁した、
中村家の当時の長男、

中村新二郎が赴任し、

新二郎が市山流3代目、
市山直治(中村かね)の夫であり、

その3代目直治もまた、

”遊芸師匠”として湯治客に
日本舞踊を披露する事を
新二郎に薦められたことで、

熱海で最初の芸妓置屋
”喜美の屋”を開業したという。

現在の熱海見番で舞う
芸妓衆は花柳流だが当時は、

明治維新後の歌舞伎の
時代考証を担当していた、

”市山流”が家元として、
日本舞踊を披露していた。

なるほどである。

北野姐さんが継承する
市山流日本舞踊は
100年以上の歴史をもち、

明治維新後の熱海温泉を
飛躍的に広めた鉄道の発展と共に
生き残っていたのである。

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(市山流日本舞踊 北野姐さんあの若かりし頃)

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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