Today's Kenzo

Published on 5月 6th, 2016 | by ken@jyohou.com

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旧国際放映撮影所(1970年代)の懐かしの面々。(坂内英介氏の場合②)

昨晩、大阪・堺市在住の医師、
喜多薫氏から電話が入った。

DR喜多に関するブログ掲載は
過去においても多くあり、
何度か来熱して、愚妻が悩んだ
膝や腰等を診て貰っており、

松本哲治氏(タックワールド)同様、
小生にとっては関西での
恩人の一人でもある。10日から

静養をかね関空からハワイに飛び、
帰国後に相談したい案件があるほか、
お互い積もる長話で親交を温めた。

さて連休が終わり今日は久々に
昼の営業が休みとなり、
池田修一氏と上京する前に、

1970年代、旧国際放映での、
出会いと記憶の続きを掲載する。

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昔を振り返り、
改めて記憶を掘り起こすのは、
小生のとってのボケ防止となる。

数え切れないほどのエピソードも、
全て記載できないこともあるが、
それでも昨日のことのように、
キーボードに指が走る。さて、

総成カントリー倶楽部の後、

渋谷区宇田川町のパブ
(渋谷タワー)を任された。

店のオーナーは台湾華喬の方で、

歌川町周辺に複数の飲食店ビルを
所有していた。オーナーとの

出会いは箱根町宮城野にあった
ある寮の女性管理人さんの
紹介だった。

渋谷タワーはビルの地階にあり

カウンター形式で4つに分れ
それぞれのコーナーには、
女性のバーテンダーが入った。

パブは宇田川町の一等地にあり、
セット料金は安く、場所柄、

客層は学生を始め近隣飲食店の
従業員やNHKにも近いことから、

テレビや映画の製作担当者や、
芸能プロのマネージャー他、
劇団関係者や役者の溜まり場として
ソコソコに繁盛していた。

小生は売り上げや仕込みその他
バイトの管理などが主な業務で、

兼業を条件に短期間だったが、
ここでの出会いや人生経験は
後々に生きており、思い出は多い。

坂内英介氏は常連の一人だった。

元新東宝映画の専属俳優から、
そのまま、経営が代わった、
国際放映の社員となった人物である。

撮影所並みいる酒豪の中でも
群を抜いて強かった印象が強い。

坂内氏同様、

当時お世話になった方々は、

勝又、石田、中嶋、
金井、高木、大曲、西島、
曽我部、平野氏ほか数多くいた。

(つづく)

(写真は坂内、大曲等と台湾旅行にて)

 


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