国際放映撮影所(1970年代の青春回顧)

昨日、通販で注文していた
ゴルフクラブ一式が届いた。

今度の日曜日に開催される
ジャンボーグループのコンペに
間に合ったことで通販カタログを

2度も送付して頂いた
高◯永◯氏の心遣いに応えたい。

ただ、道具が良くなっても
センスがないのでどこまで
期待に添えるか未知数である。

今月も先月同様、高橋会長と
目黒社長と小生、高◯氏の4人が
同じ組であり、気分一新臨みたい。

さて、国際放映にまつわる
新しい写真が出てきた。これは

昭和58年頃の現ムラヤマビルに
勝又氏(製作部演技課)と
故山口淳二氏(国際放映役員)が
小生を訪ねてきた時の写真である。

さて、青春回顧(国際放映編)である。

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坂内英介氏(国際放映演技課)と
懇意になるに従い、妻帯者だった

彼の西新井の自宅アパートに
店が終わると頻繁に同行した。

小生もまた、お返しとばかりに、
新築したばかりの下多賀中野の
自宅に招待するなどして、この間、

撮影所組織図やパワーバランス、
スタッフとの交際術を学びつつ、
徐々に国際放映幹部の懐深く、
入り込んでいった。この時代の、

撮影所の中は熱気ムンムンで、
映画会社やテレビ局のドラマの
プロデューサーや俳優、スタッフや
芸能マネージャーなどと、
ごく普通にお茶を飲み、また、
酒を交わし近くの雀荘で(伍萬)で
雀卓を囲むなど、重宝で
使い勝手の良い男に徹した。

「太陽にほえろ」出演前の
故◯田優◯とはここの雀荘で
何度も卓を囲んだのを覚えている。

チャン付けで名前を呼び合い
親睦を図る撮影所の雰囲気が
肌に合ったのか、今振り返ると
失敗も多かったが、大きいのは
人脈確保の処世術を学んだことだ。

また、ある方の助言で芝居の
イロハを覚えれば稼げると、
とある劇団を紹介されたのである。

(つづく)

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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