昭和49年の佐口静男氏(佐口農園)との思い出。

昨日、佐口静男氏に問いかけた

昭和49年9月19日に設立した、
(株)ぷろだくしょん・ぶい。

その経緯について記憶を手繰る。

西島孝恒氏(国際放映所属)を代表に、
並木宏之氏(撮影技師)常務に、

会社設立へのスポンサーを募った
小生が専務となって発足した。

事務所は渋谷区東1丁目、246沿い
青山学院真向かいにあった
旧団体生命裏の東常磐松M303号室。

会社の目的は映画、テレビ、演劇
出版に関する付帯する事業だった。

創業メンバーはその当時に、
出入りしていた国際放映で
顔を合わせることのお多かった、
制作スタッフである。

経歴はTVドラマの制作主任と
撮影技師。あれから

現在では西島氏は鬼籍に入り、
並木氏とも疎遠になっているが、
このプロダクションを通して
サウジアラビアと交流を深めた。

お二人の経歴はネットから、
「テレビドラマ人名録」及び
日本映画情報システムで
検索して頂くと分かりやすい。

先日のブログに掲載した写真、
フィリピンバンドのオーディションの
一枚はこの会社のスポンサーで、
当時舟橋駅前で青果店を営む
オーナーのお供でお付き合いした。

このオーナーを小生と結んだのが
佐口静男氏(佐口農園)の同期生Y氏。

その関係で渋谷の事務所には
数回訪問していたこともあり、

月一親睦会(佐口会)でも時々
共通の話題として今でも楽しんでいる。

また、会社は諸般の事情で各々の
利害関係が錯綜したこともあり、
小生は熱海に戻る際に離脱したが、
故西島氏がそのまま継続した。

昭和49年と云えば1974年。
今から42年前のことだ。丁度、

この年の8月に愚息が生まれ
父親としては既に下多賀に
自宅を建てていたこともあり、

そろそろ派手な浮き草稼業から
愚息の為にも熱海に根を下ろし
起業の夢を抱いていた時期だった。

こうして、一枚の会社経歴書から
当時の苦くもあり、楽しくもあった、
思い出が数々浮かんでくる。それも、

佐口静男氏(佐口農園)の
存在無くして語れないのである。

 


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