Today's Kenzo

Published on 7月 17th, 2015 | by ken@jyohou.com

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成島柳北の子孫、柳北記念碑に立つ。

今日は午前中町内の祭りの後始末をした後
愛犬ふ〜との定番散歩を済ませ自宅に戻り、

飯田慎一氏(成島柳北の子孫)の訪問を待ち、

マリンスパあたみ敷地内(海浜公園)に建つ
成島柳北の記念碑に案内する。碑には

線彫りにした柳北の肖像と碑文が彫られ
裏面には明治17年9月つくられた柳北の短歌、

ーうしと見る世にただひとつ楽しきは
熱海のさとの湯あみなりけりーと刻まれ、

旧日刊アタミ日曜文壇・熱海文壇百景、
成島柳北ー大恩人の柳北(小林米男著)には、

昔から熱海には多くの文人墨客が訪れている。
中でも、成島柳北、尾崎紅葉、坪内逍遥は
熱海にとって大恩人と言える。坪内逍遥と、

市島春城は、柳北がよく訪れた聚落、
(旧樋口旅館、聚落、富士屋旅館)の
庭園を歩きながら、

ー熱海を今日の如く繁栄に導いた大恩人は
柳北翁であるのに、何ごとぞこの地に翁を
記念する何物もない。せめてこの庭園に

小碑を建て碑面にあの長顔を刻してはどうか、と
二人で話したそうだが、昭和10年2月28日、

逍遥がこの世を去ってしまったので、その翌年
市島春城が発起人となって昭和11年3月、
海の見える聚落の庭に立派な碑が建てられた。

柳北の文名ははなはだ高く、西南戦争後の
熱海温泉発展の時流に、その紀行文は
大きな役割をはたしてくれた。詩に文に頻に
宣伝し当時不便な熱海へ多くの都人らを誘った。

柳北の碑は、昭和52年5月29日、富士屋旅館の
庭園から、現在の海浜公園に移された。
(つづく)
慎一


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