堀孝会長(株式会社総食グループ)の強運録

ナイヤガラの爆裂音が静まり自宅から原チャリで事務所に向う。途中、
赤信号のため銀座交差点で停車する。ここは小生にとってある種、聖地である。
既報のとおり先月20日の花火大会の夜に輪禍に遭遇したが、間一髪、

軽傷で済んだからで、たまたま”運”が良かったからか、或はこの地に、
ツキの神が宿っていたのかは定かではないが日々感謝している。
この厄落としには、少々痛みが伴ったものの、これまでの
立案事項に急に光が射し込む等、偶然とは思えないプラスの作用を
肌で感じ取っている。誰にでもツキや幸運は持っているが、ただ、
小生のピンチを度々救い、微笑んでくれるツキの神も驚くのが、

高橋弘会長(万葉倶楽部)や堀孝会長(総食)の強運録である。そこで、
先日表敬訪問した「堀孝会長」(株式会社総食)に纏わる強運を
小生の知り得る範囲以内でご案内させて頂こう。先ず、強運その”二”、実は、

堀会長は高橋弘会長と今から30数年前土地取得で競い合っていたのが、
旧常磐荘跡地買収(現・総食熱海営業所)をめぐり、タッチの差で、
堀会長が一歩先を制した。このことが後々事業を成長させた。
この施設を国が認定する市場開設権を取得するなどし、紆余曲折を経て、

銀行に頼らなない独自の資金調達と生鮮品流通の仕組みづくり確立し、
今では築地市場と沼津市場を拠点として関東一円に事業を拡大している。

強運話はそれだけではない。強運その”一”、話しは昭和44年に遡る。
堀会長は”太平洋ひとりぼっち”の経験者でもある。大西洋大島沖を、
12日間漂流したことで新聞紙上を騒がせている。当時は、堀水産社長として
熱海のホテル・旅館を相手に事業を広げており、黒鯛やイサキ等、
朝獲れの新鮮な魚を提供すべく漁船を駆って漁に出ていた。そして
昭和44年7月のある日、堀会長は大島の沖合に出たまま音信不通となった。

家族の願いも空しく遭難したものと半ば諦めかけていた関係者に、
無事救出のニュースが飛び込んできたのはそれから12日後のことだった。
(つづく)

堀会長と

 

 

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

0 Comments
scroll to top