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Published on 3月 29th, 2013 | by ken@jyohou.com

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「小池朝雄」さんとの出会いと別れ。

(昭和40年3月30日の日記。昨日の続き)

「小池朝雄さんと 挨拶を交わし稽古場に行くと、
ロミオとジュリエットの練習の真っ最中である。

芥川比呂志、名古屋章、仲谷昇、松村達夫等
私が映画やテレビで見ることしかできなかった人たちに直接会えた
何という感激か。練習が終わり、

小池朝雄と仲谷昇の間に私が入り自動車に乗り、六本木の、
何という喫茶店か忘れたが入り、小池朝雄さんと語る。

標準語にする。生活を規則正しく。色々な戯曲を読む。(大きな声で)
体に気をつける。等。そして
喫茶店を出てから小池朝雄と本屋に行く。神田清訳の
チェホフやロミオとジュリエットを読みなさいという。

そして私に買ってくれるであろうつもりが、その本がなく、
4月の7日からやるサンケイホールの
ロミオとジュリエットの(公演の)とき合いに行く約束をする」

今となって思えば、小池さんと話した内容は、
◯焦ることはない。
後楽園で社会人して経験を積んでからでも遅くないし、
◯いつでも会いに来て下さい。と、説得され、

翌日の午後10時過ぎには、学生服に柳行李、ギターを片手に
熱海駅に到着し迎えてくれた上司(故西島実氏)の案内で竹の沢寮に入った。また、
4月7日のサンケイホールに行く事な研修を受けていた。日記には何故か、
☆過去と未来を鉄の壁で閉ざし、今日という現実を大切に
☆時間を大切に
☆物事に目標を立てて、と。書いてあった。また、
下記ハガキを頂いてから約6年後の昭和47年、国際放映にて、
ロケーションマネージャーとして、篠田三郎、水沢アキ主演のテレビドラマ
「若い先生」の製作に携わり、名古屋章さんや岡本信人、フィンガー5等と接し、
名古屋さんとは再会できたものの、小池さんとはその後文通は続いたものの、
刑事コロンボの吹き代えや各社の映画出演が続く超多忙な役者となったが、
昭和60年(1985年)3月23日、肝不全(享年54歳)でお亡くなりなった。
一枚のハガキと日記を前に、小生の半生に大きな影響を与えた、
「小池朝雄」というバイブレーヤーの存在を改めて思い浮かべ感謝する。

故小池朝雄さんの記録


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