Today's Kenzo

Published on 9月 25th, 2010 | by ken@jyohou.com

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西川晶さん(クラウン専属歌手)、”熱海旅情”、ヒットの裏側

日本の流行歌(はやりうた)は圧倒的にJ−POPが主流を占め、K-POP(韓流)の
市場席巻とともに、お目当ての人気シンガーやグループの、
イベントと化したライブステージを求め、ファン層が列をなしているのが、
朝のワイドショーやスポーツ新聞の芸能欄から読み取れる。他方、歌謡曲や演歌は

J-POPとは真逆な、”あの頃”、”あの時代”を懐古する、
昭和ノスタルジック団塊層を中心に、カラオケを媒体として
根強いファン層を形成している。そこに焦点を当てたのが高橋弘会長だった。
歌謡曲と温浴施設。敢えて、昭和ノスタルジーを醸し出すことで癒しを演出する。

高橋弘会長(万葉倶楽部)が万葉温泉施設展開にあたり、いち早く取り組んだのが、
施設のコンセプトを顧客にイメージさせる、BGMの制作だった。キッカケは、
石森史朗氏(脚本家)の作家生活50周年記念パーティだった。小生が司会を担当、
高橋会長は来賓として挨拶する。その会場で意気投合したのが、

石森氏の友人でクラウンレコード所属の演歌歌手、
西川晶」さんだった。西川さんのデビューは昭和48年。静岡市出身で、
こまどり姉妹などの前唄を務め、バンドを結成しジャズ喫茶などで
音楽活動をしながら、ラブユー東京(黒澤明とロスプリモス)、夜の銀狐(西条史郎)、
さそり座の女(美川憲一)のヒット曲を手がけた作曲家、
中川博之」氏に師事し、昭和48年、
おんな街、焼津港の別れ雨でレコードデビューを果たした。デビュー後、
主に地元静岡にちなんだご当地ソングを多く発表してきた。




昭和55年、ラブラブ静岡の発売を機に、作詞作曲家としても才能を開花させた。
修善寺の女(市川昭介作曲)、かげろういのち(中川博之作曲)、
置き手紙)もず昌平作詞)ふたりの熱海(作詞・作曲)、
藁科川音頭(作詞・作曲)、命あるかぎり(作詞・作曲)
新静岡音頭(作詞・作曲)、恋の曼珠沙華(中川博之作曲)他、特に
走り雨(中川博之作曲)は、
中川博之作曲家生活40周年記念作品としてヒットした。また、

西川さんは平成4年より約2年間、静岡SBSラジオ番組(西川晶物語)、
(西川晶カラオケ道場)のDJを務めるなど、平成10年より、
全国初の素人紅白歌合戦、歌の祭典、クラウン歌謡学院西川晶歌謡教室等をもち、
毎年新曲の発売を続け精力的に音楽活動を続けている。その西川さん、

石森氏の出版記念パーティを通して、いわば、小生と石森氏が仲人した形となって、
高橋会長と西川晶さんが結ばれ、平成18年、高橋弘作詞、西川晶作曲唄の
「万葉の歌」が誕生したのである。この歌は、
日本クラウンより発売され、万葉施設のテーマソングとなった。

都会に温泉を運んで癒しを提供する。唄うことで癒される、団塊世代の
顧客開拓とリピーターの囲い込みには、カラオケが不可欠となる。
飽きの来ないカラオケ大会を目指して、試行錯誤を繰り返しながらも、
全国万葉施設やホテルグループで独自のカラオケ大会を始めた。各施設で勝ち抜いた方には、
箱根「天成園」の舞台にて、年に一度のグランド大会へに出場権を付与し、
最優秀者に選ばれた方には、

高橋弘作詞、西川晶作曲のオリジナル曲を提供し、新規作成した
プロモーションサイトにて、オリジナル曲をPRしていくプランも浮上している。今日は、
そうしたコンセプトにそって、熱海にちなんだ作品で、
高橋弘会長が補作詞した「熱海旅情」をお届けしながら、間接的ではあるが、
熱海再生への活動の一環をご案内させて頂く。


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