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Published on 4月 3rd, 2009 | by ken@jyohou.com

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熱海温泉近代史の礎、「丹那トンネル」感謝祭

東海道線「丹那トンネル」は、
熱海駅と函南駅間を結ぶ7,804メートルの隧道である。

この事業は、今から91年前の大正7年に、
7年間の工期計画を持って着工した。

約一世紀昔の大事業だが、
大部分が手作業という難工事だったこともあり、
落盤事故等が相次ぎ、ついには、

67名の死者と332名の重軽傷者の犠牲が伴った。

こうした貴い命と引き換えに、
完成まで当初予定の7年から12年もの追加延長期間を要し、

昭和9年12月1日に開通した。

以来75年間もの間、熱海温泉の礎となり、
今日まで基幹産業を支えてきた。

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現在、100年に一度の大不況と形容されている、
日本経済のダメージ、熱海温泉への集客への打撃を回復する上でも、

東西の交流、近い将来のリニアモーターカーの開通に備えた、

官民一体となった、ニュー熱海温泉への脱皮が求められている。

また、慰霊者を代表して挨拶に立った川瀬氏(ミニコミ紙熱海プレス)が、
熱海側の業者川瀬組の子孫だったと、改めて知ることとなった。

関連団体の理事として紹介された、
加藤則男氏(前熱海市議会議員)は、

完成当時の熱海温泉には、
全国から約2000組の新婚カップルで賑を見せ、以降、
昭和30年代までは、
熱海と言えば新婚旅行のメッカとして全国区となった。と話し、

慰霊祭について、

自治体主催の神仏催事が出来ないため、
故三浦益次郎氏(元観光協会長)時代に、協会主導で開催の運びとなり、
今年で39回目を迎えた。

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述べ250万人もの方が日夜難工事に従事された。
この労苦を熱海市民は忘れることなく、

”親切当り前、感謝の念”を持って、観光客への御持て成しとして欲しいと、

議会を退いてから2年半だが、
知識と経験に裏打ちされた説得力は健在で、
多くの出席者に対して、改めて、

”丹那トンネル”慰霊祭”が、
熱海温泉にとって意義深い祭事であることを説いた。

さて、その慰霊祭閉会後、
旧熱海会代表の加藤則男氏を囲んで、

梅原、高橋、小生の所属していた議員と、広域行政推進の議員関係者で組織された、
ゴルフコンペ「阿吽会」のメンバーで、
湯河原町から参列した高橋議員が、

慰霊碑をバックに記念撮影をして散会した。

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慰霊と言えば、

小生の従兄弟で、
児童文学者「佐藤真佐美」氏が肝臓がんのため、先月逝去した。

明日は故人について、
供養を兼ねて報告する予定である。

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