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Published on 10月 20th, 2005 | by ken@jyohou.com

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故「金平協栄ジム」会長

昨日の続きになるのだが、
「ドクター中松」の欄でもチラッと顔を覗かせたのが、
協栄ボクシングジムの「故金平元会長」。
金平会長といえば、
世界チャンピオンだけでも、
古くは、フライ級の「海老原博行」、フェザー級「西城正三」、
Jrフライ級「具志堅用高」、Jrライト級「上原恒常」、
Jrフライ級「渡嘉敷勝男」、Jrバンタム級「鬼塚勝也」等
日本人ボクサー6人と、
旧ソ連出身の「勇利アルバチャコフ」、オルズベック・ナザロフ」等
元選手を合わせると実に8人の世界チャンプを育ててきた。
現在では、前スーパーバンタム級世界チャンピオンだった、
「佐藤修」選手や、
18歳で「東洋太平洋フライ級」チャンピオン王者となった、
難波の闘拳「亀田興毅」選手が所属している。
「金平元会長」も基本的には
五味武会長(国会タイムズ・グローバルレインボーシップ)人脈で、
生前は、湯河原を含めた熱海周辺での、
場外車券売り場設立構想を実現すべく、
元メガネスーパーの重役「I]氏共々駆け回っていた。
平成9年3月8日「旧つるやホテル」で開催された、フォーラムでも
この案件もテーマとなったものの、
丸金コーポレーションが頓挫しつつあった、
熱海駅前「ウインズ」開設問題が大きく立ちふさがり、
軽い話にとどまった。
(写真左より小生、故金平会長、歌手仲宗根美樹さん、
 大川啓一元国会タイムズ編集長、故力道山子息百田氏)
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(旧つるやクラブにて、故金平会長、小生、河合浩道桃山旅荘社長、ドクター中松秘書)
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実は故金平会長は小生とは別の横糸で結ばれていたのである。
     (1998年当時の、旧つるやを含む東海岸町ホテル旅館街)
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なぜ結ばれていたか、
それは旧ソ連出身のボクサーに関連している。
小生の熱海後楽園時代の同期生に、
小野崎という男がいる。
小野崎氏も小生と同時期に後楽園を退社し、
家業のタイル屋を継ぎ、
子供の成長とともに、外国芸能人招聘会社を設立した。
その小野崎氏のプロダクションに、
アントニオ猪木氏が招聘し、
故金平会長の協栄ボクシングジムに、
「勇利アルバチャコフ」、「ナザロフ」等とともに
来日入門した選手の中に、
ヘビー級ボクサー「シビエフ・ラムザン」選手がいた
小野崎氏のプロダクションが、
旧ソ連から「タレント」招聘も業務にしていた関係からか、
練習が終わると事務所に立ち寄り親交を深めていた。
その連中を小野崎氏が小生に紹介してくれ、
特にラムザン氏が小生と親しくなり、
練習の合間を縫い何度となく「熱海」に遊びに来ていた。
「ラムザン」氏は確か小生の記憶では、
ソウルオリンピックヘビー級で”銅”メダルに輝いたはず。
しかし結果から言えば、協栄ジム入門の旧ソ連重量級ボクサー3人は、
アメリカのライセンスを取得することなく、
母国に帰っていったという。
  (小生の中央町事務所でのラムザン氏と初代ジョンとパピヨン)
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ただ、この「ラムザン」氏は、1991年
先ごろ急逝した「橋本真也」選手と、
異種格闘競技という冠で戦い、スポーツ紙面を飾ったが
敗戦したあと直ぐに勃発した旧ソ連崩壊を機に、
祖国へと足早に帰国したのである。
そして一年後、ラムザン氏はある要人を伴い
熱海に訪れてきた。
まず最初に面会していただいたのが、
高橋弘「日本ジャンボー」会長だった。
(写真左より高橋会長、マモダエフ暫定経済相、ラムザン氏)
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シビエフ・ラムザン氏は
”チェチェン・イングーシ共和国”の出身だったのである。
そしてこの年、1993年、
小生は「チェチェン・イングーシ共和国」(当時)に、
小野崎氏のプロダクション関係者等と
招かれたのである。
当時日本人が殆ど足を踏み入れたことない、
「チェチェン・イングーシ共和国」の首都「グローズヌイ」。
今は内戦の影響で、
町並みは跡形も無く崩壊したとの報道だが、
小生は当時の貴重な写真とビデオに
1993年当時の美しい風景を収めている。
こうした旅行記や旧ソ連移入ボクサーの話を、
故金平会長は、小生を新宿高層ホテルにある
ご自分専用の特別室で、
ビールを飲みながら聞いてくれた日のことを思い出す。

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