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Published on 6月 15th, 2005 | by ken@jyohou.com

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「業捨」の不思議 2

熱海浜町の「正ちゃん」パチンコ店
創業者「松田」さん(故人)も、
今から22~3年前の昭和56年頃、
人伝えに
”業捨”の評判を聞いて、広島県呉市広町に
定期的に通っていました。
「稲田時計店」創業者や栄駿産業山田会長(故人)等も
追随してそれぞれ、白内障や緑内障。前立腺肥大や肝臓等
各人各様の体調改善に熱心に取り組んでいました。
谷原さんが熱海に移り住むキッカケは、
松田さん等が体質改善したという風評が広がり、
沼津や三島、東京から”業捨”を受けたいという、
希望者が急速に増えたことにあります。
     (旧臨海ホテルと昭和58年の石田昭男(当時臨海ホテル専務))
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松田社長は「旧臨海ホテル」石田昭男専務(写真上)と
昵懇の間柄だった関係で
ホテルの一室が療法部屋として活用されましたが、
希望者が急増したため、
松田社長が”熱海に週の半分滞在して、悩む人々の相談を受けてきては”と、
提言したことを受けて、谷原さんは急遽広島と熱海市内、週半々の割合で
業捨を広めることを決めたのです。
(東京市ケ谷時代の谷原さん)               (故松田正ちゃんパチンコ店オーナー)
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昭和59年だったか、
谷原さんの希望する療法部屋が見つかるまで、
一時的とは言え、
小生のビル、「ビジネスホテルムラヤマ」4階の一室で
”業捨”が行われることになりました。
(谷原氏が移転した後火災に遭遇。その後、昭和61年時のビル前景とビジネスホテルパンフ)
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しかし、
当時は小生にとっては、指爪で擦って、
体質が改善され、開運を導く療法と言われても、
ナンセンスの域を出ない話でしたし、
”業捨”そのものを全く信じていませんでした。
もっとも、まだ若かったこともあり、
昭和58~9年頃には、生活習慣病という言葉すらなく、、
ストレスはあったものの、病気とは無縁でしたからなおさらでした。
しかし、
魚屋から身を起こし”網元商法”を旅館業セールスの
キャッチフレーズに売り出し中だった、
「○央ホテル」(当時)のK社長は、その苦痛に
果敢に挑戦し、
多いときで週2回”業捨”の、激痛と戦っていました。
どういう訳かそれ以降、K社長はトントン拍子に勢力を拡大し、
熱海3団体のうち、
「○海観光協会」、「熱○旅館ホテル協同組合」の
頂点に立ち、事業も隆盛を極めました。
ただ、谷原さんが東京に移転してからは
多忙を極め、現在まで疎遠のようです。
こうして「K社長」を筆頭に、
谷原さんが熱海市に根を下ろしてからは、
業捨の評判は口伝で広がり、
市内外から続々と”業捨”参りが始まったのです。
評判が広がると、テレビ朝日、フジテレビ、日テレなどが、
小生のビルで活動する、谷原さんを取材に訪れ、
その療法を放映したのです。
小生もこの時期マスコミ用に体験しました。
その後も、大々的に取り上げられ、
当然、真実かインチキかについても議論を呼びました。
体験した人たちの中には、
自らが谷原さんの真似をし”指爪”や、一円玉を
使うなどして、
”俄業捨”療法
金銭を徴収して”もどき掻人”まで現れたりと
様々な珍象も起きました。
小生のビルに滞在し、3ヶ月後に、
「熱海プラザ」のマンションに移った後、
希望者が殺到し、リクエストの多い
東京に移転したのです。
東京では週3日、市ケ谷のライオンズマンションで
約14年ほど続け、医者やプロ野球選手、
プロゴルファー、「K済堂」会長等を始め、
表や裏社会の大物を始め、
一般の方々も含め多くの症例を和らげ、
感謝されてきたようです。
この”業捨”との出会いが、
後々小生自身が人生を切り開く上で
立ちはだかり突き当った様々な壁を
現在のところ乗り越えられてきた、
”ツキ”と”強運”のルーツだったと思わざるを得ない、
最初のハプニングが
突然、襲い掛かってきたのは、
昭和60年1月16日未明のことでした。
ムラヤマビル5階付近の、長期滞在者が住む部屋付近から
突然、火災が発生したのです。
つづく

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