昭和40年「真鍋八千代的経営哲学」その一

熱海後楽園オープンの昭和40年(1965)。
熱海市は構造的な
”不景気”風が吹き荒れていた。
内閣総理大臣は池田勇人から佐藤栄作にかわり、
衆議院議員自民党総務「山田弥一」(大月ホテル)代議士は
「伊豆は一体なり。共栄はかり正面から
中小企業育成に取り組む方針を公表する。
しかし、熱海市内の旅館ホテルは設備投資過剰
借金漬けとなり、
収容力は増えているが、それにお客の増加が伴わず、
経営サイドは、資金、人手、お客の三不足を露呈していた。
当時、熱海市内の旅館従業員は、
女性7,000人、男性3,000人規模だったが、
女性が約2,000人不足で
北海道への求人誘致を展開していた。
昭和40年。10月の県税事務所発表の
料飲税トップ10を見てみよう。
①ニューフジヤ 5.848 ②金城館 4,842 ③静観荘 4,792
④つるやホテル 3,999 ⑤富士屋 3,526 ⑥赤尾ホテル 2,510
⑦熱海後楽園ホテル 2,502 ⑧大野屋 2,221 ⑨暖海荘 2,022
⑩西熱海ホテル 1,994
熱海市は前年比 7,4%、伊東市は11,5%の計8,4%の売り上げ増だった。
(40年後の現在、奇しくも①と②の法人格は同一会社(株式会社スタディ)が経営し、
③、④、⑤、⑨はすでに閉鎖している)
宿泊業界は東京オリンピック以来、
ホテル・旅館の新増築ラッシュによる収容力の
増大と不況による利用率の低下で
苦しい経営を続けていた。
ゴルフ・ホテル宿泊料金をセットにした
セット券売出しや
ホテル料金の割引の新戦術で巻き返しを図り、
中小企業も低料金を武器に競争から協調へと向かっていった。
しかし、宿泊施設の借金は売り上げの5割に押さえるのが
普通だが、それ以上の借金経営が多く、
金利負担で利益は飛び、過剰設備投資が
経営難の要因となっていた。
そんな状況の最中、
真鍋八千代社長(株式会社後楽園)
東京ドーム
http://www.tokyo-dome.co.jp/
地元熱海新聞紙上で自身の経営哲学について
こう述べている。
真鍋八千代略歴
大正6年中央大学法科卒、同14年弁護士開業
東京宝塚の顧問弁護士を経て、
昭和22年宝塚取締役、32年後楽園社長となる。
愛媛県出身で、この年71歳だった。
   (左から真鍋社長、栗原弘常務、大沢正治第一営業部長、菊池徳太郎第二営業部長)
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-果報は寝て待て-とかいうが、
「果報は練って待て」という真意をそのまま、
事業に経営に、そして私生活に、「練る」厳しさを持っている=
これが真鍋社長のすべてである。
こうした書き出しで、旧熱海新聞に掲載されたのは、
昭和40年10月7日(木)だった。
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(熱海後楽園創業時の新高卒採用者ピックアップ)
このブログを見た関係者の方は、
7月17日の同期会実行委員会か
小生までご連絡ください。
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さて、話を戻そう。
(真鍋社長の)
小柄の大声は生地そのままだが、
胸を覆う風変わりなリボン、
タイに真鍋社長のいつになっても年をとらない
人生の若さがある。
いうなれば、若さから湧き出るハツラツさを
首にかけている人、それが真鍋社長なのである。
経済界はいま不況だ、と暗い話題ばかり。
その騒ぎをヨソに、着々と事業の拡張をはかる真鍋社長。
ボーリングで息切れ寸前の長島温泉(三重県桑名市長島町)
を救い、この夏には熱海の町を一変するといわれる
大娯楽センターをつくった。
あくことなき事業欲ーそして成功につぐ成功。
そのひけつから、
放談の口火を切ってもらう。
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「そりゃあキミ、ウンシチだよ」
意外な答え。「雲七」-つまり、桁外れに運が強いという意味だ。
世間では幸運な人物をよく「雲三の人」というが、
「雲七」とはよくよく幸運の星にめぐり合わせた
というべきか。
「長島温泉の盛況を見たまえ、”田んぼの中の温泉”と
冷やかされたが、それは温泉の出る前の話だよ。
経営が苦しく何とかしてくれと頼まれて
ボクが一億の金を出資したとたん、
お湯がザ~ァ。
こんなことは人間の能力外のことだと思うな。
”湯枯れ”が心配される熱海でも、
海の中に銅管を突っ込んだら、
これがまた、大変な湯脈にブツ当たった。
60度の湯が、一日にざっと320キロリットル。
熱海最大の”熱海後楽園”でも使い切れないほどの湯量だ。
勇み足はしない
それではこのツキに乗じて経営者にありがちな
設備投資をどんどんやるかといえば、
真鍋さんの場合、
決してそうではない。
「事業の拡大には、必ず”潮時”というものがある」
という。
-ステップバイステップ-
これが、いわば真鍋式経営哲学だ。
だから真鍋社長の掌握する一連の事業には
流行の言葉で言う、
エスカレーション(段階的拡大)
がみられる。
続く

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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