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Published on 4月 8th, 2005 | by ken@jyohou.com

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’92ヤオハン絶頂期と間垣部屋

第56代大相撲横綱「若乃花」。(元小結三杉里)が
間垣部屋
http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_meikan/sumo_beya/magaki.html
を設立した際、大スポンサーが
http://www.wadakazuo.com/history/history.htm
旧「ヤオハン」の和田一夫氏だった。
(写真は和田一夫氏)         (雨宮来宮神社宮司、山田宮御輿保存会会長)
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当時、和田一夫氏は、
香港にてゲームソフト会社ウィムジー社をM&A。
シンガポールIMM社国際卸売センター全館オープン。
香港5・6号店、アメリカ7・8号店、マカオ店オープン
八佰半食品製造貿易有限公司 香港証券取引所に株式上場。
ニューヨーク日本寿司チェーン「大吉」マンハッタンにチェーン化。
北京八佰半百貨店オープン 等々、順風満帆だった。
このとき、忍び寄るヤオハンの危機を予測していた
経済関係者は皆無に等しかった。
連日、中国要人をパートナーに引き入れて
中国進出を成功させたヤオハン商法が
マスコミや経済誌をにぎわせていた。
そんな絶頂期の1992年2月、ヤオハン迎賓館において、
「間垣部屋全国後援会発会式」が開かれ、
多くの著名人や市内の関係者が詰めかけた。
小生も、「日刊アタミ」発行人として招待を受けた。
その招待客の顔ぶれは、
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(写真右から和田一夫氏、一人おいて間垣親方、元中日江藤選手、故長津きまま亭社長)
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来賓の、
           (鳳啓介夫妻)
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(ポール牧)                (桂小金治)
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-ポール牧さんとは、小生の故加藤九三男氏の実弟結婚式の協同司会として
 顔なじみのせいもあり、”指パッチン”でカメラの前でパフォーマンス-
(橋田壽賀子原作NHK朝ドラおしんのモデルといわれた和田カツさん)
       (現伊勢長、浪漫亭小川代表がこの時シェフとして国際的栄誉賞を授与)
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当時の市長は内田滋氏(故人)。藤間助役(故人)や松本市議(元)、
しろき旅館の馬場節男氏(現熱海食品衛生協会会長)等の姿もあった。
早いもので、ヤオハン全盛期から約13年が流れた。
基幹産業は崩壊し気息奄々のまち「熱海」。
今はこうした豪華顔ぶれが揃うレセプションは
余り見ない。
熱海市が近い将来再生した光景を想像しつつ、
1992年の”ある”栄光を振り返ってみた。

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One Response to ’92ヤオハン絶頂期と間垣部屋

  1. 斉藤 says:

    ホームページもアップできないくらいの経済的困窮状態。

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